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共同通信ソウル支局長 平井 久志1998年出版「ソウル打令」より
カレーと言うと忘れられない人が居ます。
僕が留学時代随分お世話になった在日韓国人のHさんです。
Hさんはずっと朝鮮籍でした。
しかし、歳取ったオモニが少しは祖国のために役立てと言うので、
日本の大阪でアイスクリーム製造機械の工場を経営していましたが、
これを整頓して、国籍を韓国籍に変更しました。
そして、韓国に洋食文化をつくりだそうと80年代初めにソウルにやってきました。
梨花女子大の近くにレストランを出して、
ゆくゆくは店の数を増やしていく考えでした。
売り物はカレーライスでした。
ルーも日本から持ちこみ、日本式のカレーを作りました。
Hさんがまず直面したのが、従業員との「文化摩擦」でした。
在日のためか、Hさんの発想は日本的なものです。
Hさんはまず従業員を信頼しなければいけないと考え、レジを任せました。
ところがこれは裏目に出ました。
金銭を扱うレジは決して他人へ任せてはならないということでした。
なるほど、韓国のタバン(喫茶店)や食堂で一番一般的な姿は主人のおやじはぶらぶら、
奥さんがレジというスタイルです。
次ぎに困ったのが従業員の食事です。
従業員達はレストランで客と同じテーブルで食事をします。
Hさんはこれは我慢なりません。
食事代が惜しいのではなく、客商売なのだから、
厨房で食べるとか、外でして欲しいのです。
さらに時には閉店時に友人まで連れて来て、このレストランで最も豪華な定食の皿より数多い食事を取ります。
ある時は従業員が友達を連れてきて、朝食で散財したために、
昼食時間にライスが足りなくなって他の店にライスを買いに行ったこともあると言います。
Hさんは「俺は何をしているのだ」と自己嫌悪に陥ったと言います。
Hさんは従業員に別途に食事代を給料に上乗せするので、店で食事をするのは止めるように頼みました。
しかし韓国人従業員の立場からは、
食事も十分に取れないというのは主人が「冷たい」ということになります。
従業員が店で食事して気になるのはHさんだけで、客も従業員も「クェンチャナヨ」(構わない)な訳です。
店や食器を清潔にすることを心がけ、食器洗い器も入れ、コップなどは3度洗うように言っても、
「そんなことするからコップがたくさん割れるのだ。コップなど適当に洗えばいいのに」と
逆に馬鹿にされてしまいました。
次ぎはお客との戦いでした。
日本式のカレーなので、ご飯の量が少なく、客がご飯の追加を求めます。
ご飯が追加されるとカレーが足りなくなり、
カレーの追加要求というシジフォスの神話が演じられます。
そして「キムチ」はないのかのお決まりの要求が出ます。
「韓国に洋食文化を普及させたい」というのがHさんの願いでしたから、カレーライスにキムチを出しては趣旨に反する訳です。
Hさんはこうした悪戦苦闘を続けました。そしてこうした苦労に加えてHさんを嫌にさせたのが、
警察や税務署の関係当局でした。
「何のために大学周辺に店を出したのか。学生デモの情報召集のためではないか」と言った圧力があり、
暗にワイロの要求や税務調査の脅しがかかりました。
元朝鮮籍だということから「朝鮮総連のスパイではないか」という圧迫が、陰に陽にHさんを苦しめました。
Hさんは数年間の苦闘の末に、
朝鮮撤退を決め、財産の大半を失い、85年に大阪に帰りました。
3年ほど前、新しく事業を始めたHさんを大阪に訪ねた時、
「もう二度と韓国へは行きたくない。日本に帰化する」とおっしゃってました。
Hさんにとって、韓国のカレーライスは果てしなく苦い味となってしまいました。