11/05/11 22:56:35.46
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▲対馬-独島がすべて我々の領土として記述され、国際法上公認地図<三国接壤地図>仏語版。
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▲対馬は日本領土と表記された偽造地図
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▲日本の極右団体が提示している模造仏語版の三国接壤地図
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▲玄海灘の位置を対馬の下の壱岐島南端で表記した1855年のアメリカ地図。
大韓民国政府樹立後李承晩(イ・スンマン)大統領は1948年8月18日と1949年1月7日、年頭
記者会見で日本に対馬返還を公式要求する。
イ大統領は当時、我が国の知識人の中で日帝植民地歴史教育を経ないで西洋で西洋史を通じて、
旧韓末の私たちの歴史と日本の韓国領土侵奪過程を勉強した唯一の知識人だった。
イ大統領が年頭記者会見で対馬返還を要求し、「韓国と日本の間に古い海上境界がある」とある
発言の中で「古くなった海上境界」とはどこだろうか?
キム・サンフン大佐(陸軍士官学校軍事訓練処長)は11日開かれたニューデイリー、イ・スンマン研
究所主催の第3回イ・スンマンフォーラムで「この古い海上境界は対馬と日本本島の間の玄海灘」
と明らかにした。すなわち対馬は厳然とした大韓民国の領土という主張だ。
日本人、林子平(1738~93)は1832年、三国接壤地図を作る。この地図の解説書が三国通覧図
説だ。林子平はこの本で当時の日本とその周辺三国の朝鮮、琉球(沖縄)、ハイ国(北海道)と無人
島であった小笠原群島の地図と解説をした。写真の地図はドイツ人、クラプロト(Klaproth)がフラン
ス語に翻訳したものだ。
この地図は対馬が明白な韓国領土であることを、色で区分して明らかに語っている。このフランス
語地図の国際的価値は保坂祐二教授(世宗大独島研究センター所長)の日本語論文(『三国通覧
与地路程全図』と『伊能図』の中の独島)と朝鮮総督府文書によく記述されている。
保坂教授は当時、日本政府がこの地図を国際公認地図として活用したことを次の通り記録してい
る。「日本に開国を要求した米国のペリーは、小笠原を米国領にする目的で、すでに米国人を群
島に住まわせたし、この事実を聞いて幕府に小笠原を米国領と認定するように要求した。これに
ついて幕府側は、林子平の「三国通覧図説」とその挿入地図「三国通覽輿地路程全図(三国接壤
地図)」を提示したが、これを米国が認めないので、そのフランス語版を提示してやっと米国の領有
権主張をはね除けたのだ。」
すなわち日本は1861年2月と1862年4月米国のハリス(Harris)大使、英国のオルコック(Alcock)
大使など当時の列強大使らにこの地図を提示しながら、国際的な領土紛争の公式資料として活
用した。
(>>2-5のあたりに続く)
ソース:ニューデイリー(韓国語) 日本、対馬が朝鮮土地という公式地図-文書隠蔽
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