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【チャイナネット】米国が日本の琉球併呑に手を貸したいきさつ[05/04] - 暇つぶし2ch1:依頼396@なつあかねφ ★
11/05/04 17:03:00.66
文=清華大学現代国際関係研究院副院長劉江永

中国の清末期以降、中日間で琉球問題、日本の台湾侵略問題などが議論になると、米国がいつも
介入してきた。チャールズ・ウィリアム・ルジャンドル駐厦門領事はかつて日本の台湾侵略と琉球
併呑に直接介入した。

1871年、日本の明治政府は琉球国を外務省管轄の「琉球藩」とし、琉球に清との朝貢関係を断絶
するよう求めた。その翌年、尚泰琉球国王が藩王に封じられた。

そんな中、1871年に琉球の八重山諸島の島民69人が台湾に漂着し、うち54人が高山族(台湾の
原住民)に殺害された。当時の清政府は高山族を、漢化が進んだ「熟番」と山奥に住み、教化の
及ばない「生番」とに区分していた。清政府の官僚は日本側に、「加害者は皆生番の原住民で、
化外の民(国家統治の及ばない者)」と説明。この説明を日本側が誇大解釈して、台湾全土を
「化外の地」と摩り替えてしまった。そこで大久保利通、大隈重信両参議院議員が、「台湾土蕃の
部落は清国政府政権が及ばない、無主の地と見なすべき。我藩属たる琉球人民の殺害せられし
を報復すべきは日本帝国政府の義務にして云々」と主張する「台湾蕃地処分要略」を連名にて
提出した。

米国は当時、日本に台湾占領政策をそそのかし、手を貸していた。デ・ロング駐日公使は、台湾
は「無主の地」に等しいとし、日本側にルジャンドル駐厦門領事を顧問として推挙した。ルジャンドル
はフランス生まれの貴族で、のちに米国籍の女性と結婚し米国に渡る。南北戦争中、北軍に加わ
り、陸軍少将となる。1866年、駐厦門領事兼台湾領事に任命。1867-1872年の間に度々、米軍艦
に同行して台湾に行き、「台湾通」になる。1872年、日本の外務省に招聘後、台湾と澎湖列島は
東アジア戦略の要地であるため、日本は占領するべきだと何度も強調。武力を行使する前に、
八重山諸島島民の殺害事件を持ち出し、清政府の台湾に対する主権が及ばないことを証明する
よう口添えした。1874年4月、西郷従道中将率いる遠征軍の台湾出兵の際も、ルジャンドルが軍に
付き添って道案内をし、米軍艦も日本軍の応援に駆けつけた。

ルジャンドルが日本政府に提出した「台湾攻め計画書」には、「台湾平定後、清政府は必ず日本
の台湾占領を否定する。そのため、第一陣の兵士8千人のほかに、さらに4千人を澎湖諸島に送る
必要がある。その兵が厦門(アモイ)に入り、そこを占領して清政府を押さえつければ、平和を回復
し、出兵にかかった費用を得ることができる」といった内容が記されている。

清政府はこれに対して、台湾は中国に属すると抗議を唱え、日本軍の撤退を求めた。日本軍は
台湾の高山族の抵抗に遭い、また感染病が流行して死傷者を多く出し、清政府との交渉を余儀
なくされる。清政府は不平ながら琉球を手放し、台湾を守った。1874年10月、「中日北京専約」が
締結。1875年7月、日本政府は琉球藩王に清への朝貢取り止めを命じる。1879年1月、尚泰琉球
藩王に1週間以内に日本国憲法への遵奉を誓わせる。同年4月、琉球が沖縄に改名された。


人民網/チャイナネット 2011/05/03
URLリンク(j.people.com.cn)

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