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▲イム・サンビン中央大経営専門大学院主任教授
昨年、東大・早大など一部の大学のトイレに「食事するな」というメッセージが貼られてたびたび眼
に触れたという。これを不思議に思ったある大学教授が学生を対象にトレイでご飯を食べた経験
があるかアンケート調査をした。事実だった。無視できない人数が‘はい’と答えた。日本社会に一
つの衝撃を投げた事件だ。日本の市中の新聞放送に報道された内容だ。
トイレでご飯を食べる理由は‘一人で食事する姿を他人に見せたくない。’、‘孤独な人という印象
を与えたくない。’とのことだった。この心理を精神科医の町沢静夫は‘ランチメイト症候群’と名付
けた。(中略)
読者はよりによってなぜトイレかという疑問を持つかもしれない。日本人が考えるトイレは私たちと
少し違う。伝統的な便所を‘カワヤ(厠)’といい、‘カワヤノガミ(厠の神)’、神様が留まる場所と感じ
た。妊産婦がトイレをきれいにすれば美しい子供を産むことができるという信仰「雪隠参り」もその
ような認識から始まった。雪隠参りは子供が生まれて3日と7日目になる日、子供を抱いて手洗い
に行く風習だ。だから日本人にはトイレでする食事は決して不潔な行為ではないのかもしれない。
それにもかかわらず、トイレで食事とは表と裏が違う日本人の特性をよく表わす一例であることを
否定できない。表と裏が違った行動様式、すなわち本音(中)と(建前(表面)の他の表現といえる。
「友人と付き合いたい心」が日本人の本音ならば、‘単独で食事する状況’は建前ではないだろうか。
日本人の行動基準は‘私’でなく‘他人’である場合が多い。すでに古典になった‘菊と刀’でルー
ス・ベネディクトはこれを‘恥’の文化と規定した。ベネディクトは「神の前で良心の呵責を感じる西
洋人(罪の文化)と異なり日本の人々は他人の前で恥を感じないように努める。」と話した。驚くべき
洞察力だ。日本学者センケンは日本人自身をより一層苛酷に評価した。「人の前では恥を意識す
るが、人が見なければどんなことも可能だ。典型的な日和見主義者の姿を見せている。」としなが
ら「これは貧弱な歴史意識につながった。」と痛烈に自己反省をしている。
危機の状況で内在した本性があらわれるのは個人も会社も国家も同じだ。3・11東日本大地震と
福島原子力発電所爆発以後の日本政府が隣国に見せた一連の姿はセンケンの自己反省と距離
が遠いようだ。人を意識さえしない姿を見せている。日本政府は許容基準値の100倍を越える放
射能汚染水を海に放出した。隣接国のわが国には一言の事前了解もなかった。数多くの隣国家
が日本の痛みを共にするとして救護物資支援を申し出た。だが、経済大国日本の自尊心がこれ
を許さなかった。隣国からの温情を喜ばなかった。一例でタイが米を支援するというとすぐに「在庫
が300万トンもある。」と断った。
さらに難局の中でも‘韓国が独島(ドクト、日本名:竹島)を不法占拠している。’と主張する中学校
教科書数を大幅に増やして検定を通過させた。一部の教科書は外務省ホームページをそのまま
移したようなものだ。東アジア共生共栄のため日本の役割を自認した民主党が太平洋戦争以後
最大の危機という状況で決めたとは信じられない。日本政府の認識が四方が遮られているトイレ
と同じ密閉された空間に留まっているのではないだろうか。日本メディアが便所飯について‘単独
で食事するクセを避けなさい。’とした忠告は、本来、日本政府に必要なことではないか。「責任あ
る国際社会の一員として尊重されるためには日本式ナショナリズムを捨てるべきだ。」という忠告だ。
ソース:ソウル新聞(韓国語) [開かれた世界]日‘ランチメイト症候群’とナショナリズム/イム・サンビン
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