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1994/09 PHP研究所 邱永漢・渡部昇一『アジア共円圏の時代―さらばアメリカ』
> 台湾の場合は、もともと日本との関係が深かったために、日本の企業が比較的入りやすかった。言葉も
> 通じますし、それがお互いに幸いしたのではないでしょうか。
> 昔、本田宗一郎さんが私の家に来て食事をごいっしょしたことがありました。そのとき、「本田さんの
> ところでは、外国に何軒、工場がありますか?」と尋ねたら、「三五軒」とおっしゃったように記憶しています。
> そして、「その中で、一番うまくいっているところはどこですか?」と尋ねますと、「台湾」とお答えになり、
> 「台湾に行くと、台湾の人がみんな、私に『こうやって自分たちが仕事をやれるのは、本田さんのお蔭です』と
> 言って。ものすごく丁重に扱うのです。ですから、胸に一物もっていても言い出せない」とおっしゃいました。
> この本田さんの言葉は、日本と台湾の関係を象徴しているように思います。
> ちなみに、一番具合の悪かったところはどこですかと、本田さんに尋ねましたら、「韓国」とおっしゃった。
> 「どうしてですか?」と尋ねると、「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。それで、一通りできる
> ようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。『どうしましょうか』と下の者が聞いて
> きたから、『そんなことを言われるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった。その翌日に
> 朴正煕が殺されたんだ」とおっしゃった。
> 同じ日本の旧植民地だったところですけれども、日本人と肌が合うところと合わないところとあるようです。
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