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ロッテグループの辛格浩(シン・ギョクホ)総括会長=日本名・重光武雄=は1942年、20歳の若さで
韓国南東部の蔚山から日本の下関に渡った。蔚山農業高校を卒業後、養豚の仕事をしていたが、
学業を続けたいという思いが強かった。彼が日本に持ち込んだ資金は83円。周囲の人からかき集めた
金だった。当時、日本の大企業に務める社員の月給が80円程度だった。
辛総括会長は苦学の末に早稲田大を卒業し、日本で起業。70年後の現在、総資産77兆3000億ウォン
(約5兆9400億円)のロッテグループを経営している。83円を716億倍に増やした計算だ。
今月14日、京畿道烏山市のロッテ人材開発院にオープンした「ロッテ歴史館」には、辛総括会長が
当時日本に持ち込んだ83円が展示されている。1940年代に流通していた10円紙幣8枚、1円紙幣3枚だ。
ロッテ歴史館は、ロッテグループ創立44周年を記念して開館し、企業理念、歴史、社会貢献、経営に
まつわるエピソード、事業分野という五つのテーマ別に展示されている。辛総括会長の私物や写真、
記録品など270点余りの展示品が、ロッテグループの歴史を物語っている。
展示品の一つに辛総括会長のネームプレートがある。とはいえ、「グループ会長」と書かれてあるだけで、
一部がすり減っていた。関係者によると、1967年のグループ設立から44年間使われ、今年2月に辛氏が
総括会長に就任したのを機に、ソウル市内のグループ本社から歴史館に移されたものだという。
展示スペースには、ロッテ製菓が1967年に発売した「クールミントガム」をはじめ、72年から現在までに
発売された「ジューシーフレッシュ」「スペアミント」「フレッシュミント」の初期の製品も陳列されている。
「ロッテガム100ウォンでコロナ(乗用車)が当たる」という1968年の景品広告もあった。この景品キャン
ペーンは、ロッテガムの宣伝に大きな効果をもたらしたという。ガム100ウォン分を購入し、ガムの包装を
郵送すると、景品の応募券1枚が送られてくるという仕組みだった。当時スペアミントガムは20ウォン
だったため、応募するにはガムを5個買う必要があった。
1950年に発売された「七星サイダー」の瓶も時代別に3種類が展示されている。メーカーは東邦清涼
飲料からロッテ七星飲料へと変わったが、発売から既に61年が経ち、これまでに170億本が売れた。
鄭晟鎮(チョン・ソンジン)記者
ソース 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2011/04/15
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