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対馬島が韓国領土の根拠たち
大麻道人たちは日本人と違う純粋韓国血統だ. これは 1975年日本厚生省が発表して
Suzukiさんが 1978年にバピョした HB抗原分布図でも確認される. HB抗原は ADW型と ADR型で
仕分けされるのに, 韓国人と大麻道人は 100% ADR型で一致するという点だ.
福岡人が 92%, 佐賀県が 94%である一方, トコインが 67%で日本列島最初原住民な
アイヌ民族は 67%の数値を現わしている. また頭を歳につけて横で分けて
状頭,断頭で区分するのに, 大麻道人たちは韓国人のような断頭型(82.0以上)で一致する.
髪の長い西洋人は状頭型で, 丸い韓国民族は断頭型に属する.
この以外に呉モットーさんの研究による赤血球酵素である GPTの T型遺伝子頻度でも一クラス道人が
0.619で大麻道人が 0.605で非常に近い. 1972年ミツバシシによる指紋(三次指数)
研究でも韓国人が 14.61でキュウシュウジヨックが 14.71で似ているように出た.
アイヌ民族は 12.29で韓国と格段な差を現わしているし,トオコオ以北地域で
ますますアイヌと近い.
距離(通り)で計算すれば対馬島はもっと韓国に近い. 韓半島から一番近くの距離(通り)なのに比べて
日本列島とはいくら近くても 2倍が越える 127KMだ. このどうして対馬島を韓国地だから夏至
ないこともあるか
かつて釜山大学の李炳銑教授が主張したように任那は最初韓半島南部に存在してから
3~6世紀頃にはその一部が対馬島に移動したし, 7世紀以後には日本列島に移動して
ガッウムだ. これは弱い民族が強い国家に服属されながらその民族の上層部の中で一部が移動して
行く市井だから当たり前の結果であるでしょう.
すなわち, 日本歴史書に任那国を説明しながら "任那しゃくし祝自国利川余里,北朝緩み嶺,桂林誌西南
(任那国者 筑紫国二千余理 北阻海以在 鶏林之西南)"といった. これは "任那国が祝自国から
2千余里距離(通り)にあって北は海でがロマックヒョイッゴ, 桂林西南の方に位する"という意味だ.
古代にあって "千余里"を一日李東海間距離(通り)で表示したから, これは 239お前はウィナだと使臣が日本に
聞こえる時記録した "ウィジウェインゾン"の距離(通り)表記と一致する. すなわち, 釜山で対馬島が 1千余里で, 対馬島で
日誌国(イキソム)がまた 1千余里, イキソムからキュウシュウまでが 1千余里だと記録されている事に証明される.