【書籍】 私は日本語という「言葉の壁」に閉じ込められた囚人~東京経済大教授、徐京植『言葉の監獄で』[04/01]at NEWS4PLUS
【書籍】 私は日本語という「言葉の壁」に閉じ込められた囚人~東京経済大教授、徐京植『言葉の監獄で』[04/01] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
11/04/01 23:33:04.60

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▲言語の監獄で…徐京植(ソ・キョンシク)東京経済大教授

「旧植民地宗主国の日本で生まれた私は本来は母国語でなければならない言語(朝鮮語)をすで
に剥奪され、過去の宗主国の言語を母国語として育ちました。私は全てを日本語で考え、全てを
日本語で表現します。それなら私は日本語という‘言語の壁’に閉じ込められた囚人ではなくて何
でしょうか?」

在日朝鮮人の徐京植(ソ・キョンシク)東京経済大教授(60)が1995年<子どもの涙>で日本エッセイ
ストクラブ賞を受賞した当時の感想文だ。受賞理由を「優れた日本語表現」と聞いた時、彼は「骨
髄まで日本語が、日本的情緒が浸透している」と考えて心が複雑だったと書いている。

<ディアスポラ紀行><時代の証言者プリーモ・レーヴィを探して>等で良く知られた著者は国内で出
版される2番目の評論集<言葉の監獄で>を通じて「自身のアイデンティティまで日本語を通じて形
成するほかなかった」経験と共に相変らず克服されずにいる「植民主義」について語る。この本は
著者が2006年から2年間、韓国に留まった期間に書いた時論と時評を中心に前後10年間の文
から構成されている。

徐教授は韓国国籍を持つ在日朝鮮人だが日本で生まれて日本語を母国語として習った。生まれ
て初めて自覚がない状態で習う言語の‘母国語’(日本語)と国籍により決まる‘母国語’(朝鮮語)
が一致しなかった。もしかしたら自身の母国語の中に自身の民族を抑圧した侵略国の「帝国主義
的視線」が反映しているかもしれないという惨めさを感じるがこれから抜け出すことは難しかった。

このような経験を通じて著者が真に話したいのは帝国主義・植民主義被害者らの‘証言’を通した
歴史の反省だ。しかしナチ収容所から生き返った実状を証言したプリーモ・レーヴィが結局自殺し
たように、人々はこれに鈍感だ。「被害者が被害者であることの証言という重い荷物を担っても、
大部分の人々は耳を傾けないばかりか証拠がない、大風呂敷、説得力がないと言う」ことだ。

その中心はまだ過去の歴史を清算できずにいる日本だ。特に著者が相当部分をさいて批判する
のは日本国内の右翼ではなく、これまで好意的に評価されてきたリベラル知識人たちだ。日本人
として植民地支配の責任を認めなければならないという著者の主張に対して日本国内のリベラル
知識人たちは「ナショナリズム(民族主義)のワナにはまっている」と反論する。国家に所属した国
民というだけで一人一人に過去の責任まで問うことができないということだ。

著者は個人の‘罪’と集団の‘責任’は区分しなければなければならないと主張する。彼はハンナ・
アレントの話を引用して「罪は個人に帰属するが集団の責任はただ亡命者だとか国家がない人々
だけが抜け出すことができる」と話す。韓国のベトナム派兵もまた、韓国人一人一人は‘罪’を作ら
なかったが、‘責任’から自由でないのと同じだということだ。
>>2-5に続く)

ソース:京郷新聞(韓国語) [本と人生]日本人たち、個人は罪がないとしても集団の‘責任’は認めてこそ
URLリンク(news.khan.co.kr)



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