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全てがインチキ報道だった。
1983年に吉田清治が済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」を出版[12]。
1989年に韓国でも出版され、同年中に済州島新聞[13]や済州島郷土史家の金奉玉によって虚偽であることが判明した
吉田は韓国に渡り、謝罪碑建立と謝罪活動を始めた
1992年、朝日新聞や韓国メディアは宮沢喜一首相の訪韓を前にして、吉田の証言や韓国謝罪行脚を連日掲載し、
宮沢の訪韓はデモ隊が待ち受けるなかで行われた[12]。宮沢は事実関係の調査を経ることなく[14]何度も謝罪の発言を行った[14][12]。
同年、日本の歴史家秦郁彦による現地調査でも強制連行が虚偽であることが確認された
吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に
「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認め[12]、朝日新聞は1997年に
「吉田証言の真偽は確認できない」との記事を掲載した
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