11/03/27 16:59:31.31 93024jPj
>>694
>>突然秘密裏に百済は日本で存続してたとかいいだすかもしれません
「日本の中の韓民族史探訪」は1987年から、韓日関係の誤った認識を見直すという趣旨で始まり、これまで1万3300人以上の教師や一般人が参加した。
<<中略>>
日本の文化財に刻まれた韓国文化の息吹を感じる見学ツアーは、昼も夜も行われた。昼は寺や古墳などで講義が行われ、
帰国する船内では、夕食後に真剣な雰囲気の中で講義が行われた。
講師として参加した檀国大学のチョン・ヨンホ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)、
孫承喆教授、ソ・ジョンソク教授らは交代で、「韓国文化の日本伝播」「朝鮮通信史と21世紀の韓日関係」「百済と倭」などをテーマに、
興味深いエピソードを交えながら講義を行った。
韓民族が日本に及ぼした影響は想像以上に大きく、大分県にある宇佐神宮には、新羅の梵鐘が大切に保管されてある。
宇佐神宮は725年に聖武天皇の勅命によって建てられた神社だが、この梵鐘は、同神社で最も貴重なものとされている。
高さ86センチ、周囲154センチと中型で銅製の鐘だが、形は典型的な新羅梵鐘だった。京都で最も古い寺として知られる広隆寺(603年建立)にある日本の国宝第1号「弥勒菩薩半跏像」は、
その形や技法のいずれも、韓国の国宝83号である新羅の金銅彌勒菩薩半跏思惟像にそっくりだ。
この仏像が新羅から渡来したものかどうかをめぐっては、今も論争が続いている。
だが、その材料が韓半島(朝鮮半島)で多く見られる赤松材で、日本ではほとんどみられないことから、新羅で作られたという説が有力視されている。
しかし講師たちは、「日本文化のルーツは韓半島にある」と盲目的に信じることには警戒するよう諭した。
チョン・ヨンホ教授は、「法隆寺は三国時代の文化の総合版と言っても過言ではない。この寺を見るだけで、
建造物や仏像、絵画などの文化面で、日本が韓半島の直接的な影響下にあったことが分かる」と指摘した上で、
「法隆寺の金堂壁画を高句麗の曇徴が描いたと断定できる証拠はない」と述べた。