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(前略)ベルリンなどドイツのあちこちに行って来た。ドイツは第二次世界大戦敗北後、戦勝4カ国
によって東西ドイツ分割統治を受けた。以後1990年、東西ドイツは統一国家を成した。それから
は統一国家の首都ベルリンが一つの大きな観光商品になった。崩れたベルリンの壁、その上に描
かれた各種の絵、ブランデンブルク門、検問所など各種建造物が多くの観光客たちを集めていた。
またベルリンでよく見られたのは過去の第二次大戦期間の暴力性について反省する象徴物だっ
た。その中でベルリン障壁に沿って設置されたテロのトポグラフィー建物は過去、ナチとドイツが
西欧人に行った暴力性を展示し反省しようという内容を記していた。私たちが日帝の残虐行為写
真で多く見たような無惨な写真及び映像が盛られていた。展示館ではドイツ人と外国人が目頭を
赤くして二度と戦争が起こらないよう平和を祈る心で見ていた。
これを見ながらふと、本気の謝罪も補償もない日本の過去の戦争犯罪が浮かび上がった。広島
にある平和博物館も核兵器の被害性だけ強調され、彼らの加害性は展示されていないと言う。ど
うしてこんなに違うのか?ドイツは戦争犯罪国家として分裂され統制を受けたが、日本の場合に
はむしろ被害国である韓半島の南北が割れた。この歴史的悲劇はアメリカが北東アジア戦略の
理由として日本天皇を戦争犯罪者として法廷に立てず、韓半島分割を推進したから起きた。それ
とともに日本A級戦犯7人だけ処刑され、むしろ朝鮮人を含んで強制徴兵された外国人B、C級
戦犯がずっと多く処刑され歴史的傷を残した。このような状況の中で過去、日本帝国主義勢力の
子孫たちが相変らず日本の政治を牛耳っている。
ところで問題は歴史は過去として終わるだけではなく、今この瞬間にも影響を及ぼすということだ。
すなわち過去の歴史を私たちが学ぶのは、今この瞬間をより元気にし、明るい未来を開くためだ。
結局、日本の施行されなかった過去清算が今日の軍事大国主義と右傾化の道に進む現実を生
んだ。
同時に、、この時点で韓国社会はどうか振り返った。私たちは日帝及び軍事政権の暴力性につい
てちゃんと清算をしたのか。むしろ過去の抑圧を清算し、歴史的真実を糾明することで葛藤を解消
し、より良い未来を建設しようという主旨で設立、運営された多くの過去壻元会が門を閉めなけれ
ばならなかった。私たち自らが日本の本気のこもった謝りと補償を受けることができる環境を閉じ
てしまった。本当にほろ苦い事だ。
(中略)
*追記-最近、大震災で苦しんでいる日本の多くの生命に哀悼を示し、この傷が早く癒されるように
心より祈る。私は日本と良い隣人になるよう願う。そのため、今の日本が大きく傷ついた時期にも
より良い未来のために戦争と暴力に対する反省の内容を記した。
日帝強占期、日本検事の尋問の中で「島山」安昌浩(アン・チャンホ)先生は「私は本当に日本が
亡びることを願わず、良い国になることを願う。隣りの大韓国を踏み躪ることは決して日本の利益
にはならないだろう。怨みをだいた二千万を無理やり国民の中に含むより友情ある二千万を隣国
国民として置くことが日本の得だろう。だから大韓の独立を主張することは東洋の平和と日本の福
利のためだ」とおっしゃった。そして島山は西大門刑務所で病気のため釈放され2カ月後の1938
年に京城大学病院(現ソウル大病院)で逝去した。模範的な共和国を建設しようとした独立国に遂
に会うことができなかった。
この記事を書いたイ・ヒョンジョンさんは興士団民族統一運動本部部長として活動しています。
ソース:ohmynews(韓国語) 加害者としてのドイツと日本の反省は違う(抄訳)
URLリンク(www.ohmynews.com)