11/03/12 23:51:06.09 476ohzCw
●半月城先生の最新見解 「釣魚諸島は台湾領!」
半月城です。
毛利さん、ご回答をありがとうございます。
毛利さんは
>無主物の時代から当地を占有し始めていた古賀からの再三の借用願に、1896年
になって国家として応じたという経過からすると、・・・
と書かれましたが、「無主物の時代」というのは早計ではないでしょうか。
これは[CML 006275] 「尖閣(釣魚)諸島の先占は一時凍結か」に書きましたが、
古賀が活動を始めたころの1885年に内務省は尖閣(釣魚)諸島を無主地だろうと考え
て領土編入を進めましたが、内務省から意見を求められた外務省は、清国は日本が清
国所属の島を占拠するのではないかと警戒していることを伝えて領土編入を見送るよ
う進言しました。結局、内務省も外務省の意見にしたがいましたが、これは日本政府
が尖閣(釣魚)諸島はあるいは清国の領土かも知れないという認識をもったことを意
味するのではないでしょうか?
その後も内務省は判断変更後の認識に変化はなく、沖縄県からの再三の編入要請を
10年間も却下し続けました。そして日本が日清戦争に勝利するや、単に「(1885年)
当時と今日とは事情も相異」するという理由で領土編入を閣議決定しました。この流
れからすると、日本は無主地どころか、清国領かもしれないと考えていた尖閣(釣
魚)諸島を戦勝へのご褒美にして領土編入する閣議決定をしたといえます。
閣議決定後、政府は単に決定の事実を沖縄県へ伝えただけで、対外通告や官報公
示、通達、標柱の建立など公的な領有の意思表示を何ひとつしませんでした。
そのうえ、同島に対して万国公法にいう実効支配を何もしないうちに台湾が割譲さ
れたので、日本寄りの尖閣(釣魚)諸島は、たとえ万国公法にいう無主地の先占が成
立せずとも明瞭に日本領となりました。そして、日本の実効支配は台湾支配後に開始
されました。
このような経過からすると、尖閣(釣魚)諸島は日本による無主地先占の三条件が
成立したと見るのは困難ではないでしょうか? そうであれば、戦利品の同島は歴史
的には台湾とその後の運命を共にすべきだったかなとも思います。ただし、これは戦
後の国際政治を別にした話です。
なお、原文は未確認ですが、東京の裁判所は、台湾と沖縄との漁業権の問題に関
し、「釣魚台列島は台湾の台北州に属し、これらの島嶼に出漁する漁民は台北州の許
可証を要す」と判定したとの記事もあります(『情況』2011新年号(尖閣特集)
p.35)。地政学的にいえば、尖閣(釣魚)諸島と、宮古島・石垣島などの琉球列島と
の間に深さ2,000メートル以上の海溝があるので、尖閣(釣魚)諸島はどちらかとい
えば台湾北部近海の生態系・漁業圏に属するのかも知れません。
(半月城通信)URLリンク(www.han.org)
URLリンク(list.jca.apc.org)