11/03/02 10:54:03.45 AWB8zvfw
これなんとかしろよ!!
韓国軍は参加してないのに、いつの間にか、参加してることになってるしwwwww
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初期の韓国海軍は、軍艦とすべき船の1隻も保有しておらず、また、人員および財政の難しさに
一食の食事は解決できない程度で運用上の困難が多かったが、ソンウォンイル提督は軍艦の員数のために、
米国との交渉を試みて、1948年までに計37隻の艦艇を買収しました。 しかし、中には非戦闘艦も多数含まれていた。
戦闘艦の員数のために苦心していたソンウォンイル提督は、自分自身を委員長とする『屑鉄回収転売各々委員会を結成し、
募金運動に入って行き、海軍将兵と海軍婦人会、さらには一般国民の寄付と李承晩大統領の砂金を合わせて計12万ドルを
上げることができたし、 ソンウォンイル提督が直接アメリカに行って、合計4隻の戦闘艦を購入するようになりました。
6.25戦争当時ソンウォンイル提督の最も大きな業績は、仁川(インチョン)上陸作戦に参加しています。
ソンウォンイル提督はイフイジョン、ハムミョンスエゲ島の奪還を指示しており、
ついに1950年8月18日と20日にヨウンフンドとドクジョクド、二つの島を奪還しています。
また、上陸作戦から9.28ソウル奪還作戦まで直接戦場で、韓国の艦艇と海兵隊を陣頭指揮し、
ソウル奪還作戦では、国軍最高司令官として、"国軍と国連軍は、首都ソウルを奪還 した"という布告を発表しました。
戦争後、国防部長官、西ドイツ大使、韓国在郷軍人会、アジア反共連盟、韓国広報協会などの団体からの
旺盛な活動をするなど、韓国を 広報している途中、普段持病の腎臓病で7年余りの闘病生活の末、
ついに1980年2月15日、72歳で生涯を終えるし、国立墓地に永眠するようになりました。
ソンウォンイル提督は、他界した後も、海軍の後輩たちから『海軍の父』、『海軍の精神的支柱』として広く知られています。
ソンウォンイル提督の『海軍創軍の理念』、『未来開拓精神』と『ウィグク献身の精神』は、
時代が変わっても、海軍はもちろん、韓国軍全体の長さの禅譲され、 脈々とつながらなければならないの価値だと言えるが、
安保環境が変化し、海軍の戦闘の様相が変わるも、大韓民国海軍の創軍理念と先輩たちが築いておいたの偉業は、
常に再確認しなければならないの歴史ではないかと思います。
※米軍側資料では、仁川上陸作戦には韓国軍は参加していません。
仁川上陸作戦に参加したのは:国連軍と米軍の歩兵 約4万人 巡洋艦 4隻 駆逐艦 7隻 武装サンパン 1隻その他多数の海軍および空軍兵力