11/01/03 18:58:23 YKeIPDcB
>>611
電波
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近江牛の歴史
百済よりヨーロッパ種と在来種をかけ合わせた改良たねの食肉牛が、輸入されるようになり、
例によって百済より子牛が奈良〔平安京)へと船積みされ、越前の敦賀を目指し出港、
そこでいつも通り対馬暖流に乗り、日本海を東進するのであるが、
その年によって対馬海流の強弱に左右され、日本列島への寄港地海岸も定まらず、
たまたまその年は対馬暖流が弱かったために、敦賀より西方に位置する但馬海岸に漂着、
当時はそのような例は珍しくなかったと聞く。
百済は、近江朝(660年)の時代に滅んでいるし、奈良にあるのは平城京(710年)で平安京(794年)ではない・・・。
しかも、797年(平安初期)に食用に適すると言う記録があるので奈良時代には既に食用されていた。
そして、敦賀に到着するのは渤海からの商人ぐらいで、朝鮮半島はほとんど対馬、瀬戸内ルート。
新羅寇も壱岐・対馬・北九州を荒らしてた。
もちろん各地で独特な飼育をおこなっていくわけですが、但馬牛の子牛を、近江の人達の努力と研究心により、
数千年の時を経て、日本人好みの霜降り牛を提供するまでになって来たわけです。
昨今、世界の畜産業界でも、特異な肉質牛として、その存在感を高く評価されています。
百済由来なら数千年などとんでもない。1700年を越える事はありません。