10/12/22 21:13:13
★米国、「尖閣」明記に難色=沖縄返還協定、中国に配慮か-外交文書を公開
外務省は22日、1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉などに関する外交文書291冊を
東京・麻布台の外交史料館で公開した。それによると、71年6月の沖縄返還協定締結に向けた
交渉の最終局面で、米側が尖閣諸島について「日本領土であるとの見解に変更はない」として
返還方針を示しつつも、返還対象として協定や合意議事録に明記することには
難色を示していたことが分かった。
ニクソン政権はこの時期、米中和解に動きだしており、尖閣諸島の領有権を主張し始めた
中国や台湾との関係をこじらせたくないとの思惑があったとみられる。
最終的には、経緯度線で囲む方式で尖閣諸島が返還地域に含まれることが
合意議事録に明記されたが、米政府は現在も、返還したのは施政権だとして、
領有権については態度を明確にしていない。
尖閣諸島をめぐる日米のやりとりが記されていたのは、
佐藤内閣の愛知揆一外相とマイヤー駐日米大使の会談記録など。
米側は当初、返還地域について「北緯29度以南の南西諸島」との表現で、
尖閣諸島が含まれるかどうかが明確でない案を提示。
日本側は70年12月、付属書で経緯度線を明示するとした修正案を示したが、
米側は「尖閣問題を表面化することは避けたい」と難色を示した。
日本側はその後も、「国内的にも琉球ナショナリズムからも極めて機微な問題だ」として、
再三譲歩を求めた。その結果、スナイダー米公使は71年4月、
「合意議事録で経緯度を示したい」と、いったんは日本側の要望を大筋で受け入れた。
しかし、同5月に再び姿勢を転換。マイヤー大使は表現が曖昧な案を愛知外相に新たに示し、
「米国は領土の主張の判決は行わない。国際司法裁判所に引き出される事態は避ける」と通告した。
愛知外相は「そもそも日本側は米側の立場を察して、尖閣諸島という地名の特掲を求めなかった」
と日本側の譲歩を強調し、再考を迫った。
その後の経緯は明らかではないが、日米の交渉は、尖閣諸島を含む返還地域を経緯度線で
合意議事録に明示することで決着。ただ、協定署名直前の同6月の愛知外相との会談でも、
ロジャース国務長官は「国府(台湾)が圧力をかけてきている。助けていただければありがたい」と、
日本が台湾と協議するよう求めた。
ソース 時事通信 (2010/12/22-10:16)
URLリンク(www.jiji.com)