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全体研究費の10パーセント以上が大学に配当された。大学ではその中の半分ほどを基礎研究分野に、
残りは応用研究分野と開発研究分野に使っていた。これに比べて民間企業らは開発研究分野に全体研究費の
相当部分を使うことが明らかになった。それは大学と企業が互いに調和を作り出して合理的に研究費を使う
という事実を証明してくれた。
そのように精魂を込めた結果は徐々に現れた。2000年に9番目のノーベル賞を握った日本は2001年、2002年に
三年連続のノーベル賞受賞者を誕生させた。さらに2003年には一度に二人が化学賞と物理学賞をそれぞれ受ける
ことによって長い間の景気低迷で憂鬱だった日本人たちの表情を明るく輝かせた。
このようになるとすぐに計算早い日本マスコミらはいち早く頭を働かせた。すなわち去る100年のノーベル賞
歴史上特にノーベル賞中のノーベル賞だと呼ばれる自然科学分野の受賞者は米国が200人以上を一人占めし、
相次いで英国とドイツの順だった。だが、2000年以後だけ別に離して計算すれば15人の受賞者を出した米国の
次に日本が4人で英国と一緒に同率2位という自慢だった。その上日本政府は2002年4月に「第2期科学技術基本計画」
というものを発表して「今後50年以内に30人のノーベル賞受賞者を輩出する」という野心に満ちた目標をすでに
立てていてそれこそ夢が現実に目の前に近づいた格好だった。(驚くべきことに計画を立てて10年目となる前の
2008年に3人の日本科学者らが一度にノーベル賞を受けた。本当に妄言ではなかったのか?)
日本人たちがいばっていながら口にする話題も多かった。化学賞を受賞した国立東京大学の名誉教授は大学
卒業の時成績がびりだったと自ら明らかにして人々を楽しくさせた。かろうじて卒業証書を受けたがその後の努力で
光栄なノーベル賞受賞者になったというひそやかな自画自讃に値した。
すぐに翌日の物理学賞受賞者に選ばれた人はより大きい話題をばらまいた。たった年齢43才であったその男は
有名大学を卒業して外国留学を経験した‘博士様’でもなかったし、関連学界で名をはせる著名な学者でもなかった。
彼は地方に位置した小さい企業の平凡な研究員に過ぎなかった。ところがノーベル賞受賞理由は決して普通ではなかった。
“生体内の蛋白質分析法開発で細胞の中で蛋白質がどんな役割をするのか糾明することによって生命工学発展に
寄与した。 彼の研究結果は食品検査と癌診断などに応用されている。”
その頃我が国では一流企業を中心に海外の有能な博士学位所持者を迎える競争が繰り広げられているという
ニュースが聞こえてきた。社会では博士だけ探して、当事者はひとまず学位を取ったらすべての勉強に蹴りが
ついたかのように本を閉じてしまう風土、それでノーベル賞の 「ノー」の字も取り出すことができないということの
自明さをなぜ皆分からないのだろうか?
技能工らが手並みを競う国際技能オリンピックがある。かなり長い歴史を持ったこの大会で韓国はメダルをさらいながら
1位の席を守ってきた。それでもノーベル科学賞分野では‘ノー(NO)’メダルの理由があるようだ。何より技術で科学へ
渡る障壁が相変らず厚いという点、そして優秀な人材らが法学科や医学科など目の前の実利も取りまとめる所に
だけ集まるせいという遺憾を振り切ることができない。
これだから先を走る隣国が憎らしくて羨ましい。