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強制労働「証言者は宝」
2010年12月18日
東北6県など全国で、戦時中、中国人や朝鮮人が強制労働させられた130以上の現場を歩き、二つの作品にまとめた
秋田県能代市の作家野添憲治さん(75)が、市民団体「平和・協同ジャーナリスト基金」の第16回基金賞の奨励賞を
受賞した。同基金によると、県内では初の受賞という。(笠井哲也)
賞は反核・平和や人権擁護などで優れた報道をした人や団体に贈られる。
野添さんは「企業の戦争責任―中国人強制連行の現場から―」、「遺骨は叫ぶ―朝鮮人強制労働の現場を歩く―」
(いずれも社会評論社)での取り組みが評価されて55件の候補から選ばれた。
野添さんは秋田県・旧藤琴村(現藤里町)で生まれ育った。太平洋戦争が始まった1941年、国民学校に入学した。
5年生の夏のことだ。学校の先生に率いられ、村役場に行った。そこには20代の中国人男性2人が座らされていた。
泥まみれの体は「みそ漬けのような色」だった。「軍国少年」はみんなと一緒に、彼らの顔に砂を投げつけた。
顔はみるみる砂にまみれた。
約20年後。花岡鉱山(秋田県大館市)での過酷な労働に耐えかねた中国人労働者が45年6月に蜂起した
「花岡事件」のことを知った。かつて見た2人の中国人は、事件後、山を越えて逃げてきた労働者だったことが分かった。
以来、花岡事件や強制労働について調べ始めた。
しかし、関係者に口を開かせるのは簡単ではなかった。
「加害の歴史」を隠したがる人がたくさんいた。「警官や会社の用心棒がついてきた」こともある。
それでも現場に向かい、取材を続けた。
今年10月、韓国・ソウルの知人から連絡が来た。秋田県内で強制労働を経験した人が、2005年の時点で、
韓国国内に246人いることがわかった。
今月2~9日、韓国に足を運んだ。発盛製錬所(秋田県八峰町)で働いていた3人と花岡鉱山で働いた1人に
会うことができた。うち一人は、日本人の現場監督の名前を覚えていた。「あまりにいじめられたから」だった。
野添さんは言う。「過去を知らなければ、現在も未来も創造できない。私にとって証言者は宝です」。
少しでも多くの人から証言を集め、後の世代に残そうとしている。
URLリンク(mytown.asahi.com)