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★日本が朝鮮のために戦った日本人武将の記念碑を建てた理由
壬辰倭乱(文禄・慶弔の役)当時、鳥銃部隊を率いて朝鮮に攻め込んだものの、
すぐに帰順して日本と戦った金忠善(キム・チュンソン)将軍の記念碑が日本に建てられた。
金将軍の日本名は沙也可だ。日本・自民党の二階俊博議員によると、
和歌山県の住民らが先月13日に紀州東照宮の境内に金将軍の記念碑を建立した。
和歌山県は二階議員の地元だ。紀州東照宮は壬辰倭乱以降断絶していた
朝鮮と日本の国交を回復するのに尽力した徳川家康をまつる神社だ。
金将軍は1592年に加藤清正の先鋒として鳥銃部隊を率いて壬辰倭乱に参戦した。
しかし戦争の名分がないと判断した金将軍は、1度も戦闘しないまま部下とともに
慶尚道兵馬節度使の朴晋(パク・ジン)に投降した。
その後壬辰倭乱と丙子胡乱などで手柄をあげ正二品正憲大夫に引き立てられた。
当時「金海金氏」の本貫を下され、現在韓国に住んでいる彼の子孫は7000人に達する。
記念碑建立は特定非営利活動法人の「和歌山の観光を考える百人委員会」が促進した。
先月13日に行われた除幕式には金将軍の14代子孫の金ジェソク氏と
金忠善研究会顧問のチェ・ジョンデ氏、二階議員、
金将軍の逸話を研究してきた神坂次郎氏、地域住民ら100人余りが出席した。
高さ1.5メートルの記念碑はアシアナ航空が寄贈した韓国産の陰城石で作られた。
記念碑前面と背面には韓国語と日本語で韓日両国の友好を望むという文が刻まれている。
ソース 中央日報 2010.12.10 10:22:58
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