10/11/21 16:27:39 8zW+nRko BE:840926669-PLT(14444)
>>472
金石範
日本語は戦前、鞭と脅迫によって覚えさせられたものだ。それは戦後一旦、否定されたはずのものだった。
ところが今度は、日本にやって来て再び日本語を使って詩を書くとなった時、時鐘にとっての日本語の意味
は、心理的にもずっとおった人間とは違う要素をもってくるんじゃないかと思う。
そこに見えるのが論理性である。私の言う論理性というのは、意志の力だ。時鐘の詩は意志だ。意志は必
ず論理性を持っている。構想的な力です。
【なぜ書きつづけてきたか、なぜ沈黙してきたか 済州島4.3事件の記憶と文学】金石範・金時鐘 より
これ嘘じゃねえのかw