10/11/14 16:37:55 +lFp1Ts1
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百済避難民が日本に移民して、最初に任せられた任務が「日本書紀 」の編成です。
「日本書紀」は別名「百済書紀」とも言われるくらい、百済の話が多いのですが、
その中でも、白村江の戦いに負けた後、「先祖の墓に参る道を塞がれた~~!」と嘆いています。
つまり、「日本書紀」の著者は百済人ということになります。
この頃に書かれた、「古事記」「日本書紀」は、新羅に対する敵愾心に満ちています。
7世紀までの書物には「半島には金銀宝が山ほどあったのに~~~!」と、懐かしさが書かれています
が、
8世紀に入ると、「息子の国である新羅にはいいものなど何もない!!」と、
まさに、{愛しさあまって憎さ100倍!!}
未練を断ち切ろうとする思いを伺うことができます。
この頃、「日本神話」が編成されました。
「神は韓半島に降り立ったが、地が乾いててよくないので、日本列島に来て国を作られた」
という筋書きになってます。
直接日本に降りたのではなく、半島経由で日本に来たという筋書き、
それに、半島に対する未練を断ち切ろうとする意図を伺える内容は、百済系帰化人が書いたと思われます。
日本書紀て百済人が書いたん?