10/11/14 12:10:54
1976年11月の小欄に、ソウルに出張した中堅官僚の帰国談を紹介した一文がある。彼は当時の官僚の学識と勤勉と
清潔さを自負していたが「向こうのお役人たち」と議論して「はるかに追い抜かれているのでは?」と思うことがあった
▲例えば若くても政策を立案し鍛えられる機会の多さ。「国の安危は我々の肩にかかっている」との使命感。それらが国民の
強烈な国家意識と結び付き、明治の日本の熱気をしのばせるものがあるという。高度成長期の隣国である
▲なんだ、34年も前に「韓国おそるべし」と気付いた役人もいたのに、政府は座視したのか。それで北東アジアのハブ空港を
仁川にさらわれ、家電業界は世界市場でサムスンに勝てないのか。そう言ってしまうのは短絡的だろう。状況は以前と違い、
もっと込み入っている
▲だが、わが国が総じて韓国の猛追を甘く見てきたことは否めまい。かの国の人々には、石橋をたたくどころか、朽ちた橋でも
一息に走り渡ってしまうようなところがある。時には無謀とも思える果敢さとスピードに、今の日本は少なくとも一部で対応
し切れていない
▲ソウルで先行した各国の首脳会議で韓国は初のホスト役を務め、誇らしげな報道が伝わってきた。どこそこの首相がお忍びで
ホテル近くの寺を訪ね、鐘をついたとか、早朝ジョギングをしたとか、ゆったりしたニュースもある
▲もっとも、韓国が安泰なわけではない。日本を覆う危機感と悪条件をソウルの知人に説明すると、「その程度で覇気を失うなら、
韓国なんてとっくに滅びているはずだ」と笑った。当方も国難を乗り越えてきた歴史を忘れまい。
ソース(毎日新聞・余録) URLリンク(mainichi.jp)
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