10/11/13 09:40:16
【from Editor】星をつかむ力はあるか
「南北朝鮮の統一に関してアドバイスできることは…。何もありません」
あまりに率直な回答に居合わせた全員が爆笑してしまった。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊から
1年足らずで成し遂げられた東西ドイツ統一。今年、統一20周年を迎えたドイツにアジアや欧州などの
記者ととも行く機会を得た。冒頭の言葉は、韓国の記者が旧東独最後の外相、マークス・メッケル氏に
尋ねた質問への答えだった。
こうした反応はメッケル氏に限らなかった。複数のドイツ政府関係者が「私たちのモデルは南北朝鮮の
参考にならないと思う」「北朝鮮の人が統一を望むことが何より大切ですが…」と複雑な表情を浮かべた。
とはいえ、ドイツにしても、壁崩壊が統一に直結すると思っていた人は、同じように少なかったはずだ。
旧西独のゲンシャー外相(当時)が次の言葉を残している。「ドイツ統一という星を何十年にもわたって
厚い密雲が覆っていた。すると一瞬この雲が切れて星が見えた。われわれはその星を捕まえたのだ」
(リヒャルト・キースラー、フランク・エルベ著「ドイツ統一の舞台裏で」田中謙次訳、中央公論事業出版)
統一交渉にたずさわった関係者の一人は「国際社会、地域、国内の3つのレベルで条件が整うことが重要」
といっていた。ゴルバチョフ氏の登場、ポーランドなど周辺国でドミノ式に起きていた民主化の動き、
西側の事情をかなり把握していた旧東独国民が持っていた統一への切望。
そして、何よりも政治家の信念が結実した「外交力」があった。
交渉は「2+4」(東西ドイツの当事国と米国、英国、フランス、ソ連=当時)と呼ばれた6カ国で行われた。
西独は、交渉に加わることを強く主張したイタリアやオランダを冷徹に切り捨てた。
最大の懸案だった軍事同盟の問題について、独ソ外相は、第二次世界大戦の独ソ戦で命を落とした
シェワルナゼ・ソ連外相(当時)の兄の墓がある地で会談を行い、ともに墓に詣で、かつて戦火を交えた
双方の国民に強いメッセージを送った。両国民の心の機微にふれる外交が展開されたのである。
朝鮮半島を覆う分厚い雲が切れる一瞬はくるのか。韓国はもちろん、周辺国、とりわけ影響から逃れられない
日本は「その時」に備えているのか。星をつかむ力が問われているのは当事国だけではない。(副編集長 長戸雅子)
MSN産経ニュース 2010.11.13 08:06
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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