10/11/11 20:58:38
≪殴られても縋るキョンシー≫
殴られても殴られても立ち上がって縋(すが)りつくキョンシー(●屍、中国版ゾンビ)を、ハノイの東アジア首脳会議で見た。
相手にとっては、さぞかし不気味だったことだろう。
それをNHKが「なぜ中国が首脳会談を拒否してきたのでしょうか?」、でも幸いなことに「日中首相は10分間の懇談を行いました」と報道した。
戦後日本の平和主義とアジア贖罪(しょくざい)感は、ついに「受け身の無知」ともいうべき“打たれ屋たち”を大量に生み出したのである。
左派リベラルである彼らには、攻撃されている自らの立ち位置すら分からなくなっている。
中国人がそんなにひどいことをするわけがない。話し合えば、いつでも仲良くなれるのだ。
昔、日本人が悪いことをしたので、まだ怒っているのだろうか。
ならば宥(なだ)めなければならない、刺激するなどもってのほかだと彼らは思う。
こうして、彼らは、数千人規模で行われた日本民衆の反中国デモを無視し、軽視する。
自主規制の性善説がマスコミの使命を忘却させたのである。
あるいは、これはリトマス試験紙だといえるかもしれない。
ハノイのシーンを見て、「まずい」と思った人々には、国家意識もわずかにあり、攻撃されていることも分かる。
だが、どうしたらよいか分からないので沈黙を守る。
さもなければ、中国共産党が反日世論を沈静化させるため、あえて強硬に出ているのだと、
善意の「世論沈静化説」を案出して胸をなで下ろす。これが右派リベラルだ。
では、一体、誰がこのような人々を生み出したのかといえば、冷戦が生み出したのである。
米ソ勢力均衡の下、日本社会の封建的な体質と彼らは闘っていた。
当初、彼らはほとんどが左派であり、マルクス主義の進歩の図式を掲げ、民主主義が持つ体制への抵抗の理念を強調した。
だが、1960、70年代の社会主義諸国の混迷やベトナム戦争の矛盾に出合っても、彼らは独自の理論を生むこともなく、やがて保守化していく。
●=殖の直が橿のつくり
ソース MSN産経 2010.11.11 03:38
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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