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[独島望むこと]高宗(コジョン)皇帝勅令制定頒布記念日の意味を呼び覚まそう
チョン・スクニョ、詩人・韓民族独島史館館長
URLリンク(www.newscj.com)
私たちが今、行政区域として使用している13道制は朝鮮の高宗(コジョン)33年(1896年)に乙未改革の
一環として改革されながらその根元を探すことができる。この時、八道中の五つの道が南北道に分か
れて、大韓帝国および日帝強占期の間、この体系が変動なく維持された。現在の地方行政体系の母
胎になってその意義は非常に大きいということができる。
この時の行政区域編成の改編は毎年「勅令」を通じて公布したが、封建的王朝国家体制だったにもか
かわらず案件の討論と上程の方式が今の民主主義体制と似た方式だ。当時勅令が誕生する過程は
非常に大切な過程を経た後、その内容をもって大韓帝国皇帝が天下に頒布したのだ。
1900年10月25日の高宗皇帝勅令第41号の制定頒布は高宗皇帝が国家の最高の法律的な令として独
島(トクト、竹島)が大韓帝国の固有な領土であることを世界万邦に再確認させた大変重要な事項だ。
日本人たちにはもちろんのこと、世界の人々に知らせなければならない義務は私たち子孫にその責務
がある。その子孫である私たちがこの日を記念することによって、これまで「無主地先占」を主張してき
た日本のごり押しは虚構としてあらわれて、自然に世の中に知らされるほかはない。これまで発見され
た独島に関する歴史的資料は韓半島の附属島嶼であることを証明する記録が世界のあちこちの全て
でずば抜けてたくさん現れている。
過去、日本は清日戦争(日清戦争)を起こして勝利をした後で大陸侵略の野心を露骨化し始めながら、
大陸侵奪の夢を実行し始める。ロシアの南下政策を防ごうとする英国の意図に便乗しながら東海(トン
ヘ、日本海)の制海権確保の次元で独島の重要性を悟ったのだ。日帝は1904年2月、大韓帝国に軍隊
を派遣して皇帝と皇室を威嚇して軍事用地を強制収容することを主な内容とする「韓日議定書」を強制
的に締結した。
戦争準備に差し迫っていた日本はこの時、大韓帝国領の独島を不法強占した。このような背景には露
日戦争(日露戦争)を画策した日本が東海上の制海権を確保して、当時の帝政ロシアから勝利しなけれ
ばならない切迫した状況に置かれていた。
東海上にただ二つだけの島、鬱陵島(ウルルンド)とその子島の独島を韓半島の他のいろいろな場所
と共に軍事基地として使用する戦略を実行することになる。この時から日本のすべての政策は独島を
自国領土として包含しようとする動きが現れた。
韓半島まで強制占領した日本は最終的には戦争を起こした後、完全に崩壊して日本という国が世界の
歴史からしばらく消えた。崩壊した日本のすべての国家的所有権が消滅した状態で終結した。このよう
な根拠で韓半島の附属島嶼である私たちの独島は当然、日本の圧制から共に抜け出したのだ。
また一つ、日本が主張する事項は朝鮮戦争の渦中に起きたサンフランシスコ平和条約の内容に独島
を日本領土から除外するという明文がないということだ。そういう情況が発生したことはもちろん日本の
ロビー活動と共に韓国は戦争中という影響があった。
しかしサンフランシスコ平和協定を締結する前に連合国司令部命令紙(SCAPINスカピン)677号に日本
の領土画定に関する命令の明文がある。ここに明らかに独島は日本領土から除外するとなっている。
(>>2以降につづく)
ソース:ニュース天地(韓国語) 2010年11月06日(土)08:24:28
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