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【尖閣問題】尖閣に新証拠、中国主張覆す 清代公式文献に「台湾の一部ではない」[11/04] - 暇つぶし2ch1:はるさめ前線φ ★
10/11/04 07:00:27
尖閣に新証拠、中国主張覆す 清代公式文献に「台湾の一部ではない」

 ■拓大教授が指摘

 日本固有の領土である尖閣諸島に絡み、中国・清の乾隆帝(1711~99年)の勅命(ちょくめい)で
編纂(へんさん)された地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』に、台湾(府)の北東端が
「鶏籠城(現在の基隆市)」と記されていることが、拓殖大学の下條正男教授(日本史)の調べで分かった。
中国は尖閣諸島を「昔から中国の領土で、台湾の付属島嶼(とうしょ)であった」として領有権を主張しているが、
尖閣諸島は基隆市から、約300キロも離れており、清代から「台湾の一部でない」と認識されていたことを
示す資料として注目される。(喜多由浩)

                   ◇

 『大清一統志』は清代に3度、編纂され、1842年に完成した第三次編は全560巻に及ぶ。

 下條教授によると、台湾(府)に関する記述は335巻にあり、同書はその北東端について
「北至鶏籠城(北、鶏籠城に至る)」と記載。同本に収録されている「台湾府図」にも「鶏籠城界(境)」と
書かれていた。

 同時代の台湾の地方誌『台湾府誌』にも同様の記述があるほか、台湾の付属島嶼の範囲が緯度、経度で
掲載されている『淡水庁全図』(71年)でも、尖閣諸島は「その範囲外」になっていた。

 これらの文献や地図には1905年に台湾に編入された台湾北部から約70キロ離れた3つの小島
(棉花島など)すら、記載されていない。

 下條教授は、「台湾からさらに遠く離れている尖閣諸島が現代まで一度たりとも『台湾の一部』だったことが
ないのは明らかだ」と指摘する。

 日本政府は、1895(明治28)年、尖閣諸島に清の支配が及んでいないことを確認した上で、
正式に領土に編入した。

 一方、中国は石油資源などの埋蔵が明らかになった1970年前後からにわかに領有権を主張し始め、
71年12月30日の外務省声明で、「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土である。
早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に
属するものではなく、中国の台湾の付属島嶼であった」などと説明していた。

 下條教授は、「尖閣諸島が『台湾の一部でない』ことを示す中国の文献は、これまでにも見つかっているが、
清代の公式の地理書である『大清一統志』にこうした記述が残されていた意味は大きい。
中国の主張が、まったく根拠のないものであることは明白だ」と話している。

MSN産経ニュース 2010.11.4 06:31
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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