10/11/02 02:03:23
ボクが長い間、人生の師と仰いでいた山口瞳先生は、常に「物事を両側から見るように」と仰言っていた。この教えを
守って来たために、ボクはものの本質を見失わないで来られたのだと信じている。そして今の日本で一番必要なのは、
この考え方なのではないだろうか。
永六輔さんや故井上ひさしさんと同様、ボクは半世紀の間物の考え方を変えていない。にもかかわらず、現在では
「左」呼ばわりされる事が多い。われわれは変っていない。世の中の方が右旋回したに過ぎない。
日本人は優秀な民族だと思っているが、島国の(ほぼ)単一民族の欠点で、一方向に流れ易い傾向がある。近年、
殊に社会党の消滅以来、メディアの右旋回が著るしく、テレビの討論番組などを見ても、人選が2対1か3対1くらいで
右側の人が多い。
だから現在の菅内閣や仙石官房長官に、「左」だの「アカ」だのと形容詞をつける事さえある。全く苦々しい。菅直人
なんて左翼だったことは一度もない。仙石は昔左翼だったが転向し、現在は真ん中より右の人である。
(中略)
特に対中国の問題に、この傾向は強い。尖閣諸島事件に端を発して、最近の「反日デモ」などに対する強硬論が多い。
前にも書いたが、内閣の対応を「腰抜け」だの「土下座」のような形容を使って攻撃するのは、百害あって一利もない。
アメリカを見て欲しい。この半世紀、ヨーロッパで、中東で、アフリカで、アジアで、お膝元の中南米でも、「反米デモ」が
どのくらい行われたか。星条旗が焼かれ、時の大統領に似せた人形が踏みにじられたりした。それにいちいち対応したか?
ほとんどしていない。理由は「大国」だからである。
多少衰えたとはいえ、日本もまだ経済「大国」である。もう少し大人になるべきだ。何回も書くが、現在の世界を動かす
のは、経済なのである。
ボクには一生忘れないであろう記憶がある。1989年のことだったと思う。ボクは「世界まるごとHOWマッチ」という番組を
やっていた。(中略)そこで出す問題は取材ビデオだけでなく、時々「現物」をスタジオにもって来ることもあった。
そしてその晩は、1台の自動車がスタジオに運ばれて来た。統一前東西に分かれていた、東ドイツの国民車トラバントで
ある。当時西側では「紙のボディーの車」とからかわれていた。初期は綿の繊維で強化したプラスティック・ボディーだったが、
末期のこの頃は本当に「紙の繊維」が使われていた。
(中略)
ボクはその晩、レギュラーと一緒に新橋の中華料理店で夕食をとりながら、語り合った。これでは東ドイツ(ひいては
東側諸国)はもたないと。ベルリンの壁の向こう側では、フォルクスワーゲン、オペルなどの国民車(勿論ベンツなどの
高級車も)が走っている。そしてトラバントは、西側の国民車よりずっと高価で、しかも10年待ちなのだ。
いくら東側が言論統制を強化しても、ラジオやテレビの電波は容赦なく入って来る。もっと防ぎようのないものは、
「口コミ」である。もともと同じ民族なのだから、少なくともドイツに関しては統一は避けられないのではないか。そんな話を
してから1年も経たずに、ベルリンの壁は崩れ、ソ連を筆頭とする東側の共産主義体制は崩壊した。
あれから20年経っても、朝鮮半島は南北に分断されている。これは「味方」を失いたくない中国が、北を支援している
からである。しかし20年以上前に、壁を命がけで越えていった人達がいたように、脱北者は後を絶たない。
中国自体にしても、今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞のように、言論統制の限界を感じていよう。20年前よりもっと
仕末の悪い、Eメールやインターネットが入り込んでいる。経済成長の面ばかりが強調されるが、それにつきものの、公害
や格差の広がりが厄介だ。
だからこれから10年の中国の舵取りは大変である。反日デモには「ガス抜き」の意味もあったが、最近では多数の
警官隊を出して抑えようとしている。こちらだけでなく、中国側からも見る事が大切だと思う。
ソース(週刊現代 11/13号 88-89ページ 「今週の遺言」大橋巨泉氏)