【チャイナネット】図説「琉球の過去と現在」琉球は中国の冊封を受けていた[10/30]at NEWS4PLUS
【チャイナネット】図説「琉球の過去と現在」琉球は中国の冊封を受けていた[10/30] - 暇つぶし2ch1:はらぺこφ ★
10/10/30 13:41:16
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瑞泉。国王が中国の冊封を受ける際にだけ、この水が供された

12世紀、琉球諸島の南部、中部、北部に、それぞれ南山、中山、北山の三国が現れる。

■明王朝藩属国時代

1372年、明王朝の太祖・朱元璋が中山王・察度に詔勅を発布。北山、中山、南山の三国が明政府に朝貢し、
琉球は明王朝の藩属となる。

1392年、朱元璋の命により、福建省出身の造船・航海に長けた技術者、三十六姓が琉球に移民。

1416年、中山王・尚巴志が北山を征服。

1429年、中山王・尚巴志が南山を征服し、統一王朝の琉球王国が誕生(第一尚氏王朝)。琉球と明王朝の藩属
関係により、琉球の各代国王は明王朝の冊封を受けなければならなかった。

1470年、第一尚氏王朝が滅亡し、尚円が第二尚氏王朝を樹立。明王朝の冊封を受ける。

1400年‐1550年、琉球王国の黄金時代。商業が高度に発達し、中国、朝鮮、東南アジア、日本と貿易を行う。

15世紀‐16世紀、大量の海賊“倭寇”が琉球諸島を荒らし回る。

1609年(万暦37年)、豊臣秀吉の対外拡張政策を引き継いだ徳川家康は、琉球王国に近い鹿児島の薩摩藩・島津家
久率いる3千人の兵を派遣し、琉球を侵略。琉球国王を捕虜とする。

■清王朝藩属国時代

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東京を訪れた琉球国の使者

1654年、琉球国王は中国の清に使臣を派遣し冊封を求める。清王朝の順治帝は尚質王を琉球国王に封じ、琉球は
清朝の藩属となる。

1853年5月、米国海軍准将・ペリーの艦隊が琉球に来航。

1854年3月、ペリーは日本と「神奈川条約」を締結。ペリーは日本に対し、琉球の那覇港の開放を求めるが、
日本側は「琉球は遠い国であり、日本側にはその港の開放を決定する権利はない」とした。

1854年7月11日、ペリーは日本との交渉が終了した後、琉球へと急ぎ戻り琉球国政府と交渉。最終的に、中国語、
英語の2言語で正式に条約を締結し、那覇港が開放される。

1866年、最後の琉球国王、尚泰が王位を継承。

1872年、日本は琉球王国が日本に属する“内藩(令制国)”であり、琉球諸島は日本の領土であると宣言。1372年
に始まる中国の琉球に対する宗主国の地位を認めず公に琉球を侵略し、かつ、中国との琉球問題の交渉の引き
延ばしを図る。

1875年7月24日、日本は琉球国王に対し、清王朝への朝貢の停止を強制。

1879年3月30日、日本は最後の琉球国王・尚泰に上京を命じ、琉球に沖縄県を置く。琉球王国は滅亡する。

>>2,3に続きます

チャイナネット 2010/10/29
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