【中国】作家・莫邦富氏、「地元市民に愛されている成都イトーヨーカ堂への破壊行動は看過できない。反日デモへの厳罰を求める」[10/21]at NEWS4PLUS
【中国】作家・莫邦富氏、「地元市民に愛されている成都イトーヨーカ堂への破壊行動は看過できない。反日デモへの厳罰を求める」[10/21] - 暇つぶし2ch1:諸君、私はニュースが好きだφφ ★
10/10/21 23:28:43
 16日、田母神俊雄前航空幕僚長が会長を務める市民団体などの主催で、東京都内で抗議集会が行われた。「中国大使館を
包囲」と呼びかけていたので、それが中国国内に伝わると、その対抗意識からか、成都など内陸部のいくつかの都市で大学生がメイン
となる大規模な抗議デモが行われた。日中両国で市民レベルの抗議合戦となってしまった状態だ。中でも、成都にあるイトーヨーカ堂
は店舗のガラスが壊された。そのことを知って、筆者も心痛を禁じ得なかった。

 イトーヨーカ堂は1996年末、日本の小売業者としていち早く中国の内陸部にある成都に進出し、現在は97年に成都市中心街に
オープンした1号店(春熙店)、2003年に開店した2号店(双楠店)、07年にできた3号店(錦華店)、09年11月に営業を開始した4号店
(建設路店)という4店舗を展開している。中国の内陸部で成功を収めた日系企業として知られる。2号店の双楠店は、国内外にある
約190店のイトーヨーカ堂のなかで、最も利益をあげているといわれている。

 実は、ビジネス的に成功しているだけではなく、成都イトーヨーカ堂は地元に溶けこむために企業市民活動も非常に積極的にしてきた。
私が以前報道した実例をここでもう一度取り上げたい。

 2005年6月中旬、白血病治療のために成都市の病院に入院していた8歳の少女が、読み書きのできない養父に代わって、カルテに
「自ら治療を放棄することを決めた」と書いて病院を引き上げ、郊外の農村に戻った。

 少女は生まれてすぐ捨てられた。貧しい農民の養父が草むらから彼女を拾って男手で懸命に育ててきた。少女の病気治療のために、
養父は集めたすべての金を使い果たしたが、それでも足りない。少女の命を救うために、養父はぼろ家を売りに出した。それを知った
少女は、養父の生活を心配し、病気治療を自ら放棄した。

 病院を引き上げた少女は、養父に二つだけお願いをした。「新しい洋服を買ってほしい。写真館に連れて行ってもらいきれいな写真を
1枚撮りたい。お父さんはこの写真を見ればあたしのことを思い出せるでしょう」。死を意識した8歳の少女は自ら葬式の準備を進めた。

 この話を知った成都イトーヨーカ堂は、直ちに行動を起こした。「成都市貧困児童白血病救援基金」に会社として少女を支援する
ための寄付金約3万人民元を出したばかりでなく、7月上旬の土日を利用して、成都にある双楠店の催事場と1号店の春熙店で
大型ステージを用意し、チャリティーオークションを含めた一般市民への募金協力イベントを行い、約1万7000人民元の募金を集めた。

 実は、成都イトーヨーカ堂は、これまでに現地社会への支援をいろいろとやってきた。大洪水が発生したときの寄付や、貧困地域の
身体障害者や知恵遅れの子供たちへの物品支援などを積極的に行っている。店舗内に赤十字の募金箱を設置して、成都市の中で
圧倒的な寄付実績を作っている。中国人社員たちもこれらの募金活動に熱心に協力している。

 しかし残念なことに、日中間で政治的な地震が起こるたび成都イトーヨーカ堂がターゲットの一つにされ、被害を受けている。
05年4月に反日デモが起きたときも、成都イトーヨーカ堂のショーウィンドウが割られるという事件が発生し、若者たちの後先を考えない
過激な行動の犠牲となった。

 政治的な意思表示は個人の自由ではある。しかし、法的ルールに基づいた抗議行動をしてほしい。進出企業に対するこうした過激な
破壊行動は看過できない。その刑事責任の追及を成都の治安当局に強く求めたい。

 成都イトーヨーカ堂の長年の努力と実績は、地元で高く評価されていることも事実だ。2004年4月、成都イトーヨーカ堂の城木信隆
総経理(肩書は当時)が成都人民政府から表彰され、「労働模範」という称号を得た。

 ちなみに、「労働模範」は中国では地元の経済や地域社会の発展に貢献した労働者・経営者に対して贈られるものである。
城木信隆総経理は成都市では外国人労働模範の第一号となった。

(以下略。全文はソース元でどうぞ)
ソース(ダイヤモンド・オンライン) URLリンク(diamond.jp)


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