10/10/17 22:22:54 V/a5fJXR
>>99
福沢先生はlibertyに「自由」という言葉を当て、現代中国でも用いられている訳だが、
未だに真の意味合い・ニュアンスは理解されていないのだろう。
以下wikipediaの引用
「自由」は古典中国語では「後漢書」、日本では「続日本紀」まで遡ることができるが我儘放蕩(わがままほうとう)の意味であった。
徒然草に「よろづ自由にして、大方、人に従うといふことなし」(60段)とある。
福沢の西洋事情にはlibertyを邦訳することの困難さを述べており、自主・自尊・自得・自若・自主宰・任意・寛容・従容などといった漢訳はあるが、原語の意義を尽くさないとする。
加藤弘之は慶応4年の「立憲政体略」において「自在」と訳し、津田真道の「泰西国法論」でも「自在」と訳されたが、福沢や中村敬宇によるミルの邦訳「自由之理」により自由が定着した。
穂積によれば「自由」なる語・「自由」なる思想の開祖は「実に福沢先生にあると言うてもよかろうと思われる」とする。