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一回深呼吸して読むこと。過度に興奮しないこと。このような警告文を付けるべきではなかろうか
と思った。100年前、朝鮮人を眺めた日本人の見解を記したこの本には私たちが怒る内容が少な
くないためだ。徹底して「朝鮮人改造論」に立った不届きな内容が大部分だが、完全に無視するよ
り100年前の私たちの歴史を冷静に省察するために一回ぐらい読んでみる価値がある。
「朝鮮人は独創性が足らず研究心が豊かではなくて(…)中国から習った知識を最善と信じ、特別
に新しい原理を創案しようとする意欲がない。」「新羅時代には傑作を残した職人の美術的手腕が
あったが(…)少なくとも3百年以上、朝鮮人は審美的情緒の価値を認めなかった。」
『植民地朝鮮人を論ずる』はこのような文章がぞろぞろ続く。朝鮮の文学と芸術は貧弱で、朝鮮朝
は退廃し、風水説のような迷信をよく信じ、形式主義に捕らわれていると書いた。朝鮮総督府の役
人が一種の対外秘植民統治指針書として熟読したというこの本は京城帝大法文学部教授であっ
た高橋 亨(たかはし とおる)が書いて朝鮮総督府が1921年に出した『朝鮮人』が原本だ。
高橋は解放後、日本で朝鮮学会を創立したが韓国学界では代表的な日帝御用学者に選ばれる。
同書は朝鮮人の定型を思想の固着、思想の従属、形式主義、党派性、文弱(文の弊害による弱
さ)、審美観の欠乏、公私の混同、寛容と威厳、従順、楽天性など10種類の特性に分けて説明し、
朝鮮人改造問題を論じた。
『朝鮮人の思想と性格』もやはり朝鮮総督府が1927年に出した資料集のうち第20集を翻訳したも
のだ。朝鮮人の性格の部分はすでに高橋が整理した見解が反映された部分も少なくないが、朝
鮮の社会的傾向、政治および経済思想、信仰思想、文化思想、文芸思想などに分けて分析した。
『100年前、日本人の京城見物』は日本ジャーナリストであり朝鮮史学者であった著者が合併前後
のソウルの実態を調査した報告書形式の本を訳したものだ。報告書だけに詳細な統計が後押しさ
れて100年前のソウルの美しい自然景観と窮乏し無知で非衛生的だった生活像を具体的に見せ
る。電車・明治町(明洞(ミョンドン))等の風景が生々しく、日本人がソウルを徐々に蚕食する姿と
朝鮮人に対する待遇などが分かる。
イ・ウンジュ記者
ソース:中央日報(韓国語) [BOOK]その時私たちを見た日本人の目、不届きで恥ずかしくて
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「朝鮮の役人たちは官職にありながら功績の心がけなく、ひたすら機会を伺って自分と自分の家
の私的な利益を得ようと考える。それで国家はいくら国庫の収入を増やしても大部分は中間管理
の腹を満たし、民を絞り取る新しい項目だけがさらに増すだけだった。」
根拠のないとんでもない主張ではないものの、それが朝鮮総督府が刊行した書籍に載っているな
ら、なぜか不快になる。日本人学者、高橋亨が書いて1921年朝鮮総督府が出した「朝鮮人」と関
連した彼の論文2編から構成された「植民地朝鮮人を論じる」を読むと民族的優越感に捕われた
日本知識人の視線に憤慨することになるが、一方で隠したい秘密を見せつけられたようにドキッと
するのも事実だ。
(後略)