10/08/27 04:38:04
>>1のつづき
≪近代化は日本の支援によって≫
併合は韓国人にいまなおつづく鬱屈(うっくつ)であろう。日本人にとってもこんな手荒なやり方
ではなく、別の方法を選択することができなかったかという思いはある。日本が韓国の独立を承認
して韓国の近代化を助力し、2国の善隣関係を保ちながら「共に亜細亜を興す」(福澤諭吉)友邦
たりえたとすれば、それに越したことはなかったであろう。しかし、現時点に立って判断しても
それは不可能事であったといわねばならない。
1つには、日本の開国維新のような、近代化へと向かう挙国一致の政治的凝集力が韓国の中
から生まれてくる可能性を期待することはできなかった。2つには、相当の軍事力を温存したまま
敗北を余儀なくされたロシアが対日報復の挙に出ることを日本人は恐れていた。日本人がこの
恐怖から解放されるには、革命によってロマノフ王朝が完全に崩壊するまで待たなければならな
かった。
韓国は日本の強圧によって結ばされた併合条約は無効だというが、往時の韓国民の中にも自国
のみで韓国の近代化を図ることは無理であり、日本との「合邦」により日本の支援を受けながら
近代化を実現するより他なしと考える一群の有力な人々が存在したことは指摘しておかねば
ならない。李容九、宋秉●などをリーダーとする「一進会」に集った人々である。統監府の資料に
よっても参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ当時の韓国最大の社会集団であった。
首相桂太郎をして併合を決意せしめたものが彼らによる合邦への要請にあった。
しかし、いくらこういった議論を重ねても、併合条約が有効か無効かの議論を日韓で一致させる
ことは期待できそうにない。ならば、語られるべきは過去ではなく、現在と未来でなければならない。
(わたなべ としお)
●=田へんに俊のつくり
おわり