【日韓】江戸時代に朝鮮半島で実在した日本人街、韓国に復元 在日3世が友好史に光[08/21]at NEWS4PLUS
【日韓】江戸時代に朝鮮半島で実在した日本人街、韓国に復元 在日3世が友好史に光[08/21] - 暇つぶし2ch1:はるさめ前線φ ★
10/08/22 18:34:42
江戸時代の日本人街、韓国に復元 在日3世が友好史に光

 江戸時代に朝鮮半島で実在した日本人街を韓国で復元する活動が日韓の研究者の間で始まった。
プロジェクトの実現を通じて濃密だった日朝史の経緯をたどろうという試みでもある。
1910年の日韓併合条約締結から22日で100年。歴史認識を巡る対立が目立つ現在、
植民地時代を知らない世代が過去の友好の歴史を学び、新たな日韓交流に取り組み始めた。

 計画では、現在の韓国・釜山市にある東京ドーム7個分の敷地に、500人の日本人らが暮らした
街並みの一部を復元する。名称は「草梁倭館(そうりょうわかん)」。江戸時代、朝鮮との交流拠点として
釜山市にあった日本人街だ。建物の居住部分を日本の職人が造り、屋根は朝鮮人がしつらえた
独特の工法だったという。

 プロジェクトを進めるのは1級建築士で芝浦工大で研究員も務める東京都杉並区の在日コリアン3世、
夫学柱(フ・ハッチュ)さん(36)ら。今月10日、日韓の研究者らと「倭館再建の会」を発足させた。
メンバーはこのほか慶応大の助教の日本人男性や、韓国の大学女性講師ら4人。
いずれも30代の若手研究者だ。

 倭館について「濃密だった日朝史の象徴」と語る夫さんは釜山市を20回以上訪れ、
古文書を手掛かりに復元図を製作。幕府に国書を届けた「朝鮮通信使」の研究団体にも加わり、
対馬(長崎県)に残る古民家を移築する計画の実現に奔走する。

 この日本人街との出合いは大学4年の春。卒業研究のテーマを探していたところ、
鎖国時代も脈々と続いていた日朝交流史を知った。「祖国を離れ、倭館で暮らした
『在朝鮮日本人』の境遇が自分と重なった」ことで研究を始め、
倭館を通じて友好の歴史に光を当てる構想が生まれた。

 在日コリアンとして、歴史の「影」にも触れてきた。故郷を離れ、読み書きも習えずに9人の子供を
育てた祖母の口癖は「勉強しなさい」。反骨心に燃え、生き抜くすべとして建築士の道を選んだ
父親の背中や「国へ帰れ」「朝鮮人の子だから遊んだらだめ」と言い放たれた幼いころの記憶―。
夫さんにとって復元は「在日コリアンのルーツをたどる旅でもある」という。

 明治以降、植民地支配の拠点として利用された一面も併せ持つ倭館の復元について、
韓国では冷ややかな反応があるのも事実。夫さんは「日韓併合100年は両国の関係を見つめ直す良い機会。
過去に学び、新しい100年を歩み出すきっかけにしたい」と話している。

日本経済新聞 2010/8/21 13:50
URLリンク(www.nikkei.com)

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