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★【宮家邦彦のWorld Watch】仏版「歴史問題」から学ぶ
今月10日、菅直人首相談話が閣議決定された。その拙速さには正直驚いたが、
未来の日韓戦略関係を重視した苦渋の決断であるなら、まだ救いがある。
そんなことより、筆者は首相記者会見を聞きながら、なぜかアルジェリア独立戦争のことを考えていた。
「植民地支配は歴史上極めて遺憾な行為だ」「われわれは真実と対峙(たいじ)しなければならない」
「過ちを認めることは自らをおとしめることにはならない」-よく似てはいるが、菅首相の言葉ではない。
2005年4月25日、アルジェリアを訪問した仏野党・社会党のデラノエ・パリ市長の発言である。
長年アルジェリアはメディアを中心に、132年間の植民地支配への謝罪をフランスに求めてきた。
当然、翌日の現地紙は「仏、自らの罪を認める」と大々的に報じた。
しかし、パリ市長に政府を代表する権限はない。過去に仏政府が「謝罪」を公式に表明したことは一度もないはずだ。
「植民地主義は極めて不当なものだ」「あの132年間に多くの苦しみと不正義があったことは確かだが、
(両国関係は)これがすべてではない」「事実の認識は支持するが、悔恨には賛成できない。
そのような宗教的概念は国家間の関係になじまないからだ」
以上は2007年7月と12月にアルジェリアを訪問した際のサルコジ現大統領の発言だ。
いずれの訪問でも大統領は「謝罪」を丁重に拒否している。現在の日韓関係にも通ずる本問題の核心は、
「謝罪の有無」ではなく、「歴史と政治」に関する仏国内の熱っぽくも冷静な論争の中にある。
日本と同様、フランスにも強力な左右両派が存在し、アルジェリアとの「歴史問題」の議論は
今も収斂(しゅうれん)していない。そうした論争に大きな影響を与えたのが、
2005年に19人の著名歴史家が発表した「歴史のための自由」と題する声明だったといわれている。
彼らの論旨は明快だ。(1)自由な国家において政治は歴史的真実の確定作業に介入すべきではない
(2)現在の道徳的観点から過去の出来事を評価することは歴史家の仕事ではない。
要するに、歴史はあくまで「真実の探求」であり、「正義の探求」であってはならない、ということだ。
同声明に対しては仏内外から多くの反論があり、現在も侃々諤々(かんかんがくがく)の論争が続いている。
しかし、なぜか日本では「歴史と政治」に関する真っ当な議論が沸き上がらない。
右も左も「歴史」を政治化し、それをもてあそんでいるようにしか見えないのだ。
問題は日中、日韓だけではない。現在世界では、トルコ・アルメニア、ロシア・ポーランド、仏・アルジェリア関係から
仏ビシー内閣時代のユダヤ人迫害などに至るまで、過去の「非人道的行為」に「謝罪」を求める動きが
ますます先鋭化している。好むと好まざるとにかかわらず、こうした動きは今後もグローバルな趨勢(すうせい)
であり続けるだろう。
されば、日本でも「歴史と政治」について冷静な議論を深めなければならない。
今回の首相談話のように歴史を政治化し、小出しの譲歩を積み重ねても、新たな政治的要求を誘発するだけだ。
これでは、いつまでたっても日韓の不幸な歴史問題は終わらない。
「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を撤回せよなどと言っているのではない。
フランスでの論争をも参考に、われわれもそろそろ「歴史の政治化」という呪縛(じゅばく)から脱却して、
日韓間、更には日中間の真の未来を戦略的に考えるべき時だと申し上げているのである。
ソース 産経新聞 2010.8.19 07:46
URLリンク(sankei.jp.msn.com)