【中央日報コラム】日本の「武士道精神」は誇張(はったり)だ、新渡戸の本は破り捨ててしまえ[08/18]at NEWS4PLUS
【中央日報コラム】日本の「武士道精神」は誇張(はったり)だ、新渡戸の本は破り捨ててしまえ[08/18] - 暇つぶし2ch453:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
10/08/19 00:54:21 yomqSyb5
>>451
ここで考え方を変えてみる。
この「さもらふ、さぶらふ、さぶらう、さぶらい、さむらい」
に共通している概念は「そば、となり、かたわら」だ。
「見守る、守る、伺う、参上する、あり、警備…」に
共通しているのは「そば、となり」である。
見守る、守る」は「そば、となり」にいないと出来ない。
「伺う、参上する、警備」もそうだな。
「伺う」時には「そば」に行くだろ、「参上」も「そば」に行くわけだ。
ここまで準備して、アイヌ語で考えてみると

  さもらふ = samorafu ← samorafu
  さぶらふ = saburafu ← samurafu
  さぶらい = saburai  ← samurai
  さむらい = samurai  ← samurai
 --------------------------
  共通音               sam

  さもらふ = samorafu ← sam+or = そばに+居る(おる)、の場所
  さむらい = samurai  ← sam+or+i = そば+居る(おる)、場所の+者 
  samoro-moshir = 隣国、側の国かな、隣の場所の国かな

サムライの語源はアイヌ語の「sam=そば、となり」であると私は発見した。
古代では女官もさむらいだったのだが、それはサムライの意味が「そばにおる人」だからだ。
大事な人のそばにいて守っている人のことを、アイヌ語でサムライと呼んでいた。
つまりサムライとは大事な物、者を守る人のことであり
武士道とは大事な物・者を守り抜く、そういう人生・生き方や哲学の事だ。


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