10/08/19 00:48:49 yomqSyb5
武士道の密接な関連で日本語のサムライの語源を…
「日本語の文法を考える/岩波新書」で大野晋氏は
> 候 = そうろう < さうらふ < さもらふ
> さもらふ = そちらの方を見守っています。お仕えしている貴人の方を、私は見守っています。
といっている。辞書を見てみると
> さぶらふ = 四段動詞「守る=もる」の未然形に上代の反復、継続の
> 助動詞「ふ」のついた「もらふ」に、さらに接頭語「さ」のついた
> 「さもらふ」の転。
> (1)貴人のそばに仕えるの意の謙譲語。
> (2)行く、おとづるの謙譲語。参上する、うかがう。
> (3)身分の高い人や目上の人のそばに物があるという意味の
> 「あり」の謙譲語。
> (4)「あり」の丁寧語。
・・・
> さぶらい = 「さむらい」とも。
> (1)貴人のそばに仕えること。
> (2)主君の警備をする武人。
・・・
「さむらい=さぶらい」であって「さぶらい」のもとは「さぶらふ」という動詞で
四段動詞「守る=もる」の未然形に、反復継続の「ふ」がついて
接頭語に「さ」が付いたって説明は、納得できる説明じゃない。
まず、未然形とは「まだそうなっていない」状態だから
「守る(もる)」の未然形なら、まだ守っていない状態だ。
その守っていない状態に、反復継続の「ふ」がつくんだから
「守っていない状態」が反復継続してることになる。
さらに「まだ守っていない状態の反復・継続」に
接頭語の「さ」を付けたら、いったいどういう意味になるのか。
こういう接頭語+活用では、守るのか、守らないのか、肝心の所がわからないし、
接頭語「さ」はなんで付いてるのか、どう言う時に付くか、説明がない。