10/08/21 06:14:09 J43ajFGZ
>>133
朝鮮人は、自分達が言ってることが整合性が取れていない事に気がつかないというか
理解できない、だから平気で矛盾することを言う
つまり議論が成り立たない民族なのだ、こういう民族と付き合っていてもムダに疲れるだけ
135:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 07:47:46 qK3C4x45
>>134
>整合性が取れていない
そんな事問題にしません。
相手を言い負かせて、自分の思い通りさせるのが
目的ですから、事実や証拠になんの意味も価値も有りません。
人文や社会科学ではそれが通る場合もありますが、
自然科学じゃ絶対通りません。
136:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 09:07:52 Zmvlxi7B
日本人が文明をあたえてやらなかったら韓国人は今でも糞喰いの土人だろう
137:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 10:17:31 LaN/wK5f
朝鮮にもきんたまひとしさんという偉人がいるのに虐殺された上に国辱扱いだからなあ。
138:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 14:02:29 s57rSOyY
>>137
朝鮮ではまともな人間ほど国賊扱いされるんだよな
狂人がデフォルトっつー、時計仕掛けの土地だから
139:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 15:11:35 bTcWKwvW
>>135
朝鮮人の言動を見ると、どうやら奴らは白いものを「黒い」と、
黒いものを「白い」と、心の底から思い込むことができるようです。
異常極まりない生き物だ。
140:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/21 15:13:04 gMh5ieF4
韓国は日本が撤退した後にその隙間を縫って台湾各地でレイプしまくってる。
お陰さまで日本と同じく堕胎手術いぱい。
証言者も結構いるじゃん。
俺の故郷に謝罪してくれ。
日本は関係ないからな、台湾と韓国の問題だから。
141:
10/08/22 16:28:46 LXmlMfKN
>>5
ストレートなのが一番良いんだよ。お前も何かしてみろ。
142:
10/08/22 16:29:52 LXmlMfKN
>2は韓国人にぜひとも読んでほしい文だな。
143:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 18:23:25 gAHWfTb8
漢城旬報
発行に至る経緯
1882年に壬午軍乱の事後処理の修信使として日本に来日した朴泳孝は福澤諭吉と出会い、
福澤は「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には朝鮮語(ハングル)による新聞の発行が不可欠」と説き、
お互いの思惑は一致した。帰国した朴は1883年1月に漢城判尹(現在のソウル市長)に任命されると、
新聞発行のための行動を始めた。・・・・・
しかし、1893年年4月
しかし1893年4月、朴泳孝は朝鮮保守派からの反発から漢城判尹から解任され、新聞も「政治改良」を
訴える計画だったことで、新聞発行計画は一時頓挫し、雇用されていた日本人印刷工と途中から
新聞発行計画に参加していた福澤門下の井上角五郎以外の日本人は、全員日本へ帰国することとなった。
・・・・
朝鮮に残った井上は、朴泳孝の副官として訪日したことのある金晩穂の紹介により、金允植と知り合い、
允植は驪興閔氏(閔氏一族)と繋がりのある保守派でありながら、開化派に近い思想も持っていたため、
井上は允植に新聞発行のための斡旋を願い、允植の求めに応じて計画案を作成していった。
当初は、ハングルも使用する予定であったが、漢文を「真書」とする保守勢力への妥協から、漢文を使用
することとなった。・・・・。1883年10月30日、博文局から『漢城旬報』第1号が発行されるに至った。
福澤諭吉は新聞にハングル使用を望んでいたことから、ハングル活字を築地の活版所で自費で造り準備
をしていたが、当新聞が漢文となったことから、それが使用されることはなかった。しかし福澤がこの際
に造ったハングル活字は「漢城旬報」の後継である初のハングル使用の新聞である漢城周報で使用される
ことになる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
144:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 18:26:50 MVY66JAj
>>8
日帝の捏造です という
145:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 18:31:38 gAHWfTb8
『漢城周報』
発行に至る経緯
『漢城旬報』の編集責任者として関わっていた井上角五郎は甲申政変に介入して失敗したことで、金玉均、朴泳孝らとともに
日本へ帰り、『漢城旬報』を発行していた「博文局」も焼かれたため、朝鮮での新聞発行は中断することとなった。
しかし井上は政変の事後処理のための井上馨と朝鮮政府との交渉の仲介役として、すぐに朝鮮へ戻ることになった。
この際に井上は朝鮮国王宛てにハングル使用の新新聞を発行する要望書を金允植へ提出した。金允植はこの要望書に姜韓が
案出した漢字・ハングル混合文の写しを添えて高宗 (朝鮮王)|高宗に提出したところ、1885年5月12日、新聞復刊の許可が出された。
「博文局」の総裁に金允植が任命され、井上も博文局主任として留任する形となった。1885年6月、金允植は新聞再刊のために
新たな印刷機と、ハングルを使用する新聞となったためにハングル活字の購入を井上に依頼し、井上は日本へ一時帰国をし、
印刷機とハングル活字を購入した。このハングル活字は『漢城旬報』発行の際にハングルの採用を求めていた[[福澤諭吉]]が築地の
活版所で造らせておいたものを井上が買い受け、不足していた活字を新たに鋳造させたものであった。1985年11月、井上はすべてを
揃えて漢城へ戻り、翌1886年1月25日、『漢城周報』第1号が発行されるに至った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
古今東西、革命や改革は、世界の情報を一般民衆を知ることによる。凄惨な壬身分差別制度に
胡坐をかき、朝鮮の民主化、近代化を怠っていた、身分制度が最後の拠りどころだった
当時の支配階級ヤンバンにとって、新聞という情報開化は「ヤンバン階級守旧」にとって、
身分制度体制を崩壊させた「侵略」であっただろう。
甘い汁をすいさべう生ン
146:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 19:06:30 MVY66JAj
>>143
福沢△
147:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 19:07:36 gAHWfTb8
朝鮮王朝は「甲午の改革(日清戦争終戦による改革)」まで愚民政策の一環で、訓民正音(ハングル)の教育や
図書編纂や文書作成を禁じていた。
1504年 李朝第10代王 燕山君、訓民正音の教育・学習を禁止、正音庁(諺文庁)等所蔵の訓民正音文書焼却。 ←注目
1506年 李朝第11代王 中宗、諺文庁を閉鎖し、訓民正音を完全廃止する。
148:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 19:15:50 MVY66JAj
>>147
自分らで捨てたものを日帝の文化蹂躙として戦後も漢字を禁止していたのに欧米に漢字カッコイイって言われると
漢字の起源を主張していたわけですか。
日本は大変なことをしてしまいましたね。
149:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 19:30:13 gAHWfTb8
朝鮮半島文化:事大主義
150:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/22 20:11:25 zbFODJ/+
ハングルって「韓字」ということ?
日本ってすごいな。他国に文字を与えて。まあ、日本も中国から漢字をいただいたし。まあっ、いいっか。
151:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/24 07:43:43 ahcViQxx
朝鮮人はほとんど 文字を知らなかった
152:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/24 09:44:18 zFHrYkv2
>>102
李読(りとう)ね、でも朝鮮が漢字の音読みの起源じゃ無いよ。
その前に支那自身が漢字の読み方を切韻と言う音韻辞典で分析しているぞ。
153:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/24 09:53:40 koY2VyVV
>>152
吏読ですね。
154:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
10/08/24 10:00:42 koY2VyVV
日本の返り点等の補助記号を使って読み下す方法に近いのは、吏読じゃなく口訣なのか。