10/08/14 05:29:12
- 韓国:浦項の日本人顕彰碑 セメントで固められたまま保存 -
日本の敗戦後、セメントで塗り固められた顕彰碑=浦項市九竜浦で2009年11月、西脇真一撮影
URLリンク(mainichi.jp)
【ソウル西脇真一】韓国南東部・浦項(ポハン)市は、植民地時代に市東部の九竜浦(クリョンポ)で
港湾建設などに尽力した日本人をたたえて建立された顕彰碑について、1945年8月の解放後に
セメントで塗り固められた「原状」で残すことを決めた。市は、九竜浦に残る日本式家屋などを「近代
文化歴史の道」として保存・整備中。顕彰碑もセメントをはがす復元を計画したが、日韓併合100年
の今年、「そうしたことが行われたのも歴史の一部」(関係者)として、そのまま残すことにした。
九竜浦は19世紀末、日本漁船の寄港が始まり、香川や岡山などの漁民による移住漁村が形成
された。1930~45年の最盛期には、約1000人の日本人が暮らした。
浦項市によると、顕彰碑は九竜浦開拓の先駆者で、岡山県出身の十河(とがわ)弥三郎をたたえ
ようと44年に建立が決定。港を望む裏山の神社のそばに建てられたが、解放後、地元住民らが両面
をセメントで塗り固めた。また、植民地時代は神社の参道に並ぶ石柱に日本人の名前が彫られてい
たが、解放後、これを裏側に向けて名前を見えなくし、今は参道側に韓国人の名が刻まれている。
九竜浦には「敵産家屋」と呼ばれた日本式家屋が43棟残る。これを観光資源として活用しようと、
市は一帯の整備を推進。今年から18年まで、民間資金も含め計337億ウォン(約25億円)を投入する。
日本人観光客も増えており、市は顕彰碑の復元を計画。九竜浦港はズワイガニなど韓国東海岸
有数の漁業基地になっており、地元には当時、碑を塗り固める作業に加わったものの「(十河が)港湾
整備などに力を尽くしたのは事実だ」として、今は復元に賛成する古老もいる。
しかし、住宅も含め植民地時代の「負の遺産」の整備には、一部市民らの反発もあり「どうすべきか」
と検討。結局、そのままの保存を決めた。浦項市の張正述(チャン・ジョンスル)国際協力チーム長は
「碑をセメントで覆わねばならなかった当時の人の心情も理解してほしい」と言う。市では今後、碑の
そばに過去の経緯を書いた解説板を設置する方針だ。
浦項市は人口51万人。世界有数の製鉄会社、ポスコ(旧浦項総合製鉄)本社のある「鉄都」として
知られる。朴承浩(パク・スンホ)市長の方針で全市職員約2000人を研修で福岡へ順次派遣するなど
日本との関係も深い。
ソース : 毎日新聞 2010年8月13日 15時00分(最終更新 8月13日 15時14分)
URLリンク(mainichi.jp)