10/08/22 22:41:24.80 Es2KyyEA0 BE:1117248285-PLT(12072) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/u_naoruyo_bath.gif
「ゲームの技術が発達することにより、見下ろし型のレースゲームやガンシューティングといったジャンルはゆっくりと時代遅れのものになりつつある。
それでもゲーム産業人としての我々は、現代のゲームを記述するのに古風の用語に執着する。これは我々を“RPGとはなにか”という疑問へと導く。
同じゲームの西洋と東洋のバージョンはなぜここまで違ってしまったのだろうか」
そして、「ファンタジーが舞台でターン制の戦闘があるようなRPG(多くがJRPGと分類される)のごく一部にしか「ロールプレイ」の要素がない」と指摘します。
「カットシーンはプレイヤーの入力なしで起こり、プレイヤーは台詞を少しコントロールする。プレイヤーは単にキャラクターが必然的に進行するために存在し、
結果としてプレイヤーのそれぞれは似たような経験をする。ゲームはコントロール可能なキャラクターのプレゼンテーションであり教訓的なものになる。
『ペルソナ』シリーズはこの傾向に逆らう少数派のうちの一つだ。プレイヤーがキャラクターとどのように関わるか選択することを許し、
彼らの関係がゲームプレイと物語の重要な部分を作る」
バトルシステムはゲームごとに変化するが、キャラクターの能力、ルックス、他のキャラクターとの相互関係に関してはほとんど自由が提供されない。
私はこれらを「シネマティック・ターン制・ナンセンスゲーム」と称することを始めたくなってくる。・・・むしろナンセンスというよりはコンバットか」
「基本的にJRPGには誤ったラベルがつけられている。本質的には多くのアクションアドベンチャーと変わらない」
様々な意味での自由度がなければRPGとはいえない・・・というのが著者たちの主張。RPGへの要求がかなりハイレベルであることが分かります。
例に挙げられた『Mass Effect』を作っているbiowareが「いま超大作を作るのは間違っている」と発言しているのも興味深いところ。
ハイレベルな自由度を持った西洋 RPGとなれば超大作にならざるを得ない状況。いずれはこのジャンルにも市場の淘汰が及ぶ可能性があるのかもしれません。
URLリンク(www.inside-games.jp)