10/08/15 17:23:09.07 xCgBvPUX0 BE:1016610757-PLT(12001) ポイント特典
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死を直感 嫌と言えず…立命館大名誉教授 岩井忠熊さん
「人間は弱いもので、何千人もがワーッと動く時、一人だけそこにとどまることはできない」
立命館大の岩井忠熊名誉教授(87)は軍隊に違和感を持ちながら、大勢に流された自分の心を振り返る。
京都大から学徒出陣、横須賀第2海兵団に入った。
「入隊して初めて日本の劣勢を知った。ミッドウェー海戦で空母4隻を失ったことも教えられた」
1944年10月、特攻隊の募集に応じた。「当時は特殊任務と呼ばれ、出撃すれば必ず死ぬとは知らなかった。ただ、非常に危険な任務とは聞かされていた」
跡取り息子は行かさないという不文律があったが、岩井さんは10人きょうだいの末っ子で、父が退役陸軍少将ということもあって、「行くしかないと宿命のように受け入れた」
乗船を命じられたのは特攻艇・震洋。ベニヤ製のモーターボートで、船首部に約250キロの爆薬を積み、米軍艦船に体当たりするために開発された。
「これは死ぬなと思った。しかし、軍隊では異例のことだが、中将が『戦況挽回のため、誠に申し訳ないが、諸君らに死んでほしい』と深々と頭を下げる。嫌と言えなかった」
長崎県の大村湾で訓練を受けた後、石垣島へ輸送船で移動中、奄美大島沖で魚雷攻撃を受けて船が沈没。3時間泳いで助けられた。
九州に戻って教官となり、終戦を迎えた。京都大文学部に復学、「どうしてあんな希望のない戦争を始めたのか突き止めたくて」、日本近代史を学んだ。
特攻経験を公にしているのは10年ほど前から。「特攻を公然と賛美する動きに腹が立ったからです」
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立命館大名誉教授 岩井忠熊さん(特攻艇・震洋の元特攻隊員)
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