07/01/18 00:32:54 VZ33GL590
>>80
ではMIHO MUSEUMの美術品に関する、信者の目からみた話をします。ただしこれらの話は、
神慈秀明会という宗教団体が、信者に向けて話したことなので、真偽のほどはわかりません。
とにかく説明されたことをそのまま話します。
まず、MIHOとは、神慈秀明会の創始者である小山美秀子(こやまみほこ)の名前からとられています。
この人は、非常に高い審美眼を持った人物であるということで(繰り返しますが秀明会で言われていることをそのまま書いています)
東の白洲正子、西の小山美秀子と言われていたそうです。実際に小山美秀子は白洲正子との交流がありました。
次に、この宗教は熱海、箱根にある世界救世教という宗教の分派です。この宗教は美術を重視し、戦後の混乱期に美術館を建設しました。
財閥解体のため日本から流出しかけていた貴重な美術品を買い取ることで、国外流出を防いだとされています。
それは現在、熱海のMOA美術館として引き継がれています
その宗教の分派なので、うちも美術館を立てないといけない。しかも、MOA美術館よりも優れていないといけないということで、
「世界最高を目指して」美術館建設を決定したのが平成3年です。ルーブルのピラミッド型のエントランスや、中国銀行を建設した、
I・M・ペイの設計で、建物そのものが芸術になるようにということ。そして、神慈秀明会におけるそれまでの建設と同様、
お金は出すが建設の方針に口は出さず、設計者の自由な意向のまま建設をしてよいということでプロジェクトが始まりました。
美術館がどのように建てられたか、これを語るとまた長いお話が出来るのですが、今回の要望は美術品に関してということです
ので、それは省略します。
とにかく、美術館の建設は「天国のモデル」として、神慈秀明会の教義上、とても重要な位置づけになっているのです。