11/04/27 21:13:09.49
予備知識としての脳の性質で
「行動原理は自己満足である」とネコは言う。
これに対する解説として、「自己満足には自己犠牲の精神も含む」とネコは後付けする。
ところが後の文章では、>>88
それはね、
> 「社会というものがまだ理解できていない小さな子供に『TVゲーム』という『快楽』を覚えさせることの危うさ」
> を申し上げているのですよ。
みたいなところに「自己満足」という言葉があてはまりそうだな。
これって・・・前者の「自己満足」とは違って「我欲」の方の意味だよな。
同じ言葉を使って、同じ文章の場所によって違う意味を持たせる。
そんな危うい話は無いぞ。
だから俺も>>90で「自分のためだけの自己満足」を「我欲」と改称して、
ネコが元の文章で書いたことを「共存も含めた自己満足」と読み取った場合においては
>>80で文章の書き換えをやったの。これでネコの意図は通じているか?
んじゃ、この文章、人間の行動原理についての脳の性質。この文に存在意義はあるか?
俺の書き換えた文>>80だけど
「我々人間の行動原理は、全て己あるいは同族の欲求を満足させようとする生存・共栄本能にある。」
・・・こんな文章、ゲーム脳なんて表題に対してどれほどの存在意義があるんだ?
「人類には生物学的に男性と女性がいる」「人類には成人と未成年がいる」
なんて言ってるのと同じに聞こえるんだよ、俺には。
この一文、さっくり削るだけでいいんじゃないのか?
あと、人が本来的に我欲のみで突き進むものかどうかなんてのは
何百年何千年も前から各時代の思想家が延々議論して未だに結論の出てない話だから、
ネコごときがひと言で済ませられる問題じゃないよ。
気になったら「性善説」「性悪説」「自然権と社会契約論」「モンテスキュー 法の精神」とか調べると良いよ。
俺としては「性アホ説」ってのが意外に正鵠を射ていると思うけど。