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URLリンク(sankei.jp.msn.com)
テレビや雑誌、新聞でAKB48を目にしない日はない。
彼女たちの歌やダンス、その表情や会話が芸能ニュースのトップを飾る。
今や、日本のポップスターの頂点に立ち、その人気はとどまるところを知らない。
国内のみならずアジア全土にまでファンを広げ、
ジャカルタ、タイ、台湾、シンガポール、ベトナムと、
その国々の“AKB48”が誕生しようとしている。
秋元康のプロデュースで「会いに行けるアイドル」と銘打った
エンターテインメント企画がスタートしたのは2005年の夏だった。
劇場でショーを繰り広げるアイドルグループ「秋葉原48プロジェクト」の
第1期生メンバーが募集され、10月に行われた最終審査で24人が選ばれた。
オーディションで選ばれた少女たちが歌とダンスのレッスンを重ね、
やがて紅白歌合戦の舞台に立ち、ミリオンセラーを達成するまでの
およそ6年という時間の軌跡-。
彼女たちを世に送り出した秋元は、その日々と彼女たちの姿を高校野球に例える。
「25年前に『おニャン子クラブ』というチームを全国優勝に導いた監督が、
久しぶりに秋葉原にできた新設校に、監督として迎えられた。
選手に『みんな頑張れ、甲子園目指すぞ』と、言ったものの、
集まった選手は野球をやったことがない子たちだった。
その弱小チームの孤軍奮闘のドキュメンタリーがAKB48なんです」
秋元が目指したものは、既成のアイドルとはその枠を違えていた。
>>2以降に続く