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概念を覆すようなスタジアムを求む
livedoor 2011年10月27日(木)1時24分配信
新スタジアム建設。これほど好奇心をそそられる話はない。どんなスタジアムになるのやら。
よいスタジアムが完成して欲しいとの願いはもちろん抱いているが、日本のスタジアムにまつ
わるこれまでの経緯を思うと、期待と同じぐらい不安に襲われる。先日、吹田市に建設の
意向を伝えたというガンバ大阪の話だ。
よいスタジアムの条件として、よく例えられるのが「劇場」だ。劇場的な空間を演出できる
スタジアムがよいスタジアムとは、かつてJリーグのお偉いさんも口にしていた台詞。僕も
まったくその通りだと思うが、話は大抵そこ止まりだ。スタジアムの重要性は世の中にまだまだ
浸透していない。自称スタジアム評論家を吹聴する人は(僕のように)、けっして多くない。
なぜサッカーなのか、この職業に就いた理由を訊ねられたとき、これまで僕はピッチの中身を
いの一番に挙げてきた。「82年のスペインW杯で、イタリア対ブラジルの名勝負を見てしまった
からです」と、何度となく述べてきたが、強調したいのは、それをバルセロナのサリアスタジアム
という現場で見た点にある。その空間に身を置いた経験が、サッカー、(ひいてはスポーツに)
病みつきになった理由だ。名勝負を見たさというより、名勝負、名場面に現場で遭遇したい
からが正確な答えになる。
もっとも名勝負の数はけっして多くない。空振りを食らう回数の方が断然多い。忘れた頃に
遭遇するのが名勝負。名勝負とはそういうものだ。にもかかわらず、名勝負を追い求めようと
すれば、スタジアムを訪れる意欲がなにより不可欠になる。スタジアムを訪れることに喜びを
見いだせなければ、名勝負に遭遇することはできない。言い換えればそうなる。
試合内容が平凡でも、スタジアムがよければ名勝負を見たいという動機は維持される。
この職業を続けてきた理由と、スタジアムは濃密な関係にある。
>>2につづきます。
▽livedoor
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