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286 名前:名無しさん@恐縮です 投稿日:2011/09/23(金) 00:55:21.70 ID:OwkjoB7y0
「本人からは言いにくいだろうから」と、公平先生が経緯を説明し始めます
4・5年前、新春歌謡ショウの稽古前(夏頃)、制作サイドに「正月公演は出られない」という話が来た、
「夏は出るんでしょうね」と聞いても「よく分からない」と詳細が分からない状態だった、
ずっとうやむやのままだったのが、先日麻弥さんと会ってこの件の話をした、と、
麻弥さんは、自分の弱みや辛さを人に見せない人だという前提で、と麻弥姫に変わる
体調不良であったため、歌謡ショウのハードな稽古を続けるのが厳しい状態になった、
アメリカとの往復をしている時期で、それまでも演出の茅野さんと相談して何とか治まっていた、
サクラの舞台が嫌いだったわけでなく、辞めたいという気も全くなかった、
婦人科系の重い病気に罹っていたが、花組のみんなにもそう言う話をしていなかった、
公平先生から、もしこの時その話をしていたらこんな状況になってなかったと思う、何も知らされていなかったので
「わがままを言って辞めた」と誤解する人が増えてしまった、誤解が誤解を生み「一回外したので次もす」
という流れが出来てしまった、 麻弥さんも、中山さんには話をしていたけれど、
ここまで誤解が大きくなってしまったので自ら身を引いた部分もあったそうです
麻弥さんも、みんなと電話してるので仲が悪い訳じゃないですよって言ってました
今回この話をすると決めた時、まだ誰かが怒っていないかと公平先生、中山さんは関係者に聞いて回ったとか、
みんな「大丈夫、そのことは忘れました」「それは全然大丈夫」と言う反応だったと
婦人病の件はまだ完治していないと言う話でしたが