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まさに、寝耳に水の話だった―。
橋幸夫の『潮来笠』や橋と吉永小百合のデュエット曲『いつでも夢を』、
フランク永井の『有楽町で逢いましょう』など、数々の名曲を生み出した作曲家・吉田正。
1998年6月に77歳で亡くなるまで、実に2400もの楽曲を世に残し、同年7月には国民栄誉賞を受賞している。
没後は喜代子夫人が世田谷の自宅や著作権などを受け継いだが、その夫人が7月31日、心不全のため90歳で亡くなった。
通夜には橋ら多くの“吉田門下生”がかけつけ、別れを惜しんだ。だが、そこで耳にした話に、橋は耳を疑った。
「吉田先生の著作権や自宅など、すべてを大沢可直氏が相続したらしい」―という、
にわかには信じがたいものだったからだ。
大沢氏は吉田氏が亡くなった後に喜代子夫人と親しくなり、2001年に「吉田正記念オーケストラ」を設立。
氏のHPによれば、1950年東京生まれで、1974年にオーストラリアに渡り、以来、世界各国で指揮者として活躍してきたという。
吉田夫妻には子どもがいなかったため、遺産を相続すべき親族はいない。
そのため関係者の間では、財団を設立して著作権などを管理する形にしてはどうかといった話も出ていた。
ところが、蓋を開けてみるとなぜか“赤の他人”である指揮者が実質的に全財産を相続するという、
摩訶不思議な話になっていたのである。
夫人の葬儀では吉田門下生代表として弔辞を読んだ橋が、この“異常事態”について口を開いた―。
私がまず一番驚いたのは、奥様が亡くなった後、ご遺体をご自宅に運ぶことなく、
病院から直接、青山葬儀所に運んでいたことです。普通なら長年暮らしてきたご自宅に戻して、
せめて仮通夜をしてから葬儀所に移すはずでしょう。ところが私が関係者に問い合わせると、
大沢氏から弁護士を通じて「それはダメだ」といわれたというんです。(>>2->>5あたりに続きます)
ソース:NEWSポストセブン
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