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「51歳だった息子は甲子園球児のように元気いっぱいでね、高校時代に鎖骨を折って
以来、病院には縁のない子だったんです。それがある日突然、『ご飯が食べられへんねん』と。
病院に行くと末期の胃がんであることが判明しました。一緒に住んでいたら気がついて
あげられたかもしれないのに……。それから2ヶ月後に亡くなりました」
息子さんは、水明荘に宿泊して3度の優勝経験を持つ帝京の大ファンだった。
「帝京が好きで好きでね。助からないことがわかった息子は『棺の中に入れる時に帝京の
Tシャツを着せて欲しい』と言ってたんです。5月末に亡くなり、帝京のスポーツタオルや帽子、
うちわなどを棺に入れ、息子が希望した通り帝京の服を着て旅立ちました。もう少し旅館も
続けたかった。去年、畳を入れ替えましたし、広い物干しも作りました。外装もペンキを塗り
直していたんですけどね」
毎年同じ気持ちで高校球児たちを送り出してきたが、やはり帝京と前田三夫監督との
思い出は尽きない。
「ほんと帝京さんは良い学校です。ふつうは3年生やエースピッチャーの子は、わりと何もせず
下級生が雑用係をするんですけどね、帝京さんは上下関係が分け隔て無くて、
みんな仲ようやってはります。
そして前田監督も選手にとっては怖い存在でしょうが、私らには楽しい先生です。阪神が
弱い時期には、うちら家族は前田監督に『阪神の監督に来て下さい』とお願いしたことが
あるんですよ」
息子さんの死後、すぐに前田監督から連絡があった。
「誰にも知らせていなかったのですが、どこからか聞きつけてくださってね。『今年の夏だけは
やってもらいたい』と言って下さいました。そして『夏には必ず行きますから』と。帝京さんとの
思い出は特にたくさんあります。旅館を閉めるのは……本当は寂しいてしょうがないんです」
今夏も東東京代表となった帝京を受け入れる。旅館の営業は既に予約が入っているために、
10月までは続けるという。長い務めを終えたあとは、取り壊されることが決まっている。
「最後の夏を精一杯がんばらせてもらいます」
※週刊ポスト2011年8月12日号