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牧内辰也
2003年、小野剛率いるサンフレッチェ広島にサテライト監督兼コーチとして加入、トップとサテライトを完全分業した中で主にサテライトを担当した[3]。
ちなみにJサテライトリーグでの戦績は、2003年7チーム中4位[4]、2004年6チーム中5位[5]、2005年7チーム中5位[6]。
2007年1月より、U-18日本代表監督に就任。同年のSBSカップ・国際ユースサッカートーナメントおよび仙台カップ国際ユースサッカー大会では双方とも史上初となる全敗による最下位。
地元代表の静岡ユース・U-18東北代表に破れ、対戦したルィシェンコ・ウクライナU-18代表監督は「国の代表より、地域の代表の方が強いなんて不思議だ」とコメントを残した。
AFC U-19選手権2008では準々決勝対U-19韓国代表に破れFIFA U-20ワールドカップ2009の出場権を得る事ができなかった[9]。大会終了後同代表監督を退任した。
AFC U-19選手権2010では準々決勝対U-19韓国代表に破れFIFA U-20ワールドカップ2011の出場権を得る事ができなかった。大会終了後同代表コーチを退任した。
2011年より、モンテディオ山形ヘッドコーチに就任。