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清水ミチコはモノマネした人物から不快感を示されるケースも少なくない。
彼女のモノマネには必ず“毒”が存在する。清水が好きな人物であればあるほど、
その“毒”は強力になってしまうようだ。
清水が本格的にモノマネをやりだしたのは高校生時代。
大ファンだった女優の桃井かおりの口調を、自分の部屋で真似していた。
「宿題やんなくちゃ、いけないワケ?」とかあくまでも、自分ひとりで楽しんでいたのだ。
それからピアノが得意だった彼女は、シンガーソングライターの矢野顕子の歌マネにも挑戦する。
このときも“矢野の歌が好き”だったから始めたのだが、
後に清水の矢野顕子のモノマネは異様な形へと変化を遂げる。
(それが大ウケだったのだが。)モノマネは自分の趣味であり、
文章を書くのが好きだった清水は、進学のために上京し“放送作家”を目指すこととなる。
東京のアルバイト先のオーナーの紹介でラジオ局でアルバイトをしながら、
コントのネタなどを書いていた。すると書いたコントより清水が時折やったモノマネの方が、周りに好評だった。
それからトントン拍子に渋谷のライブハウスで、モノマネを披露するまでになる。
噂を聞きつけライブを見に来ていた永六輔(当時、放送作家)の後押しで、
彼女はTV番組にも出るようになり大人気となったのだ。どこの局からも引っ張りだこで、
知らず知らずのうちに彼女は有頂天になっていた。(続きます)
ソース:Techinsight Japan
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