10/11/06 06:19:29 P
(>>1からの続きです)
澄子さんは目が不自由ながら浪曲師として活躍。
生活は貧しく、前夫で同じく浪曲師の阿部壮(つよし)さんと旅芸人として全国を回り、藤は幼少期から同行。
澄子さんの三味線をバックに歌うことも多く、こうして藤の音楽の礎が築かれた。
藤は勉強好きで成績優秀だったにもかかわらず、貧しい生活を自ら支えようと高校進学を断念した。
宇多田が00年に米国の名門コロンビア大学(ニューヨーク市)に合格したのも、
藤の存在が大きく、幼少期に学業を犠牲にせざるを得なかった経験を、娘に繰り返させたくなかったためだ。
藤が歌手活動で多忙を極める中、澄子さんは幼少期の宇多田の面倒を見たこともあったという。
藤と宇多田照實氏の離婚騒動時、宇多田がブログに「6回離婚と結婚を繰り返しているんですよ」と書き込んだことに、
「一般の家庭ならともかく、有名人の家庭でそんなことを言ったら恥。たとえ事実でも隠すのが本当」と苦言を呈したことも。
宇多田の活躍を誰よりも喜んでいたからこその親心で、
「赤ん坊の頃から明るい子だった。しっかりね!と伝えたい」とエールも忘れなかった。葬儀は近親者のみで営まれる。(了)