10/11/01 11:29:47 0
相撲は国技といわれる。しかし、日本人が長く楽しんできたという意味では、
野球こそ国技(ナショナル・スポーツ)かもしれない。その国技の頂点である日本シリーズが今日(30日)
の開幕戦を含め3試合、全国ネットの地上波で見られない可能性を、24日付の各紙が小さく報じた。
産経は少し詳しく、ローカルだけの放送も「中継の午後9時前の打ち切りを検討」(26日付)
しているという続報を載せ、「試合が長引けば『途中打ち切り』という二重の“屈辱”」との見解を示した。
これほどの“屈辱”をプロ野球が受けるのは、テレビにおける視聴率の低下である。
全国ネットの野球中継をほぼ独占してきた、巨人戦の視聴率がはじめて10%を切ったのは平成15年。
以降、特別な試合でもない限り10%に届くことは減り、スポンサー離れが進んだ。
しかし多くの新聞報道は、視聴率の低下と広告離れという解説で終わっている。
朝日の見出し「日本シリーズTVは冷たい」(25日付大阪朝刊)も、産経の“屈辱”という用語にしても、
スポーツビジネスとテレビの業界の話として報道されている。
かつて広告媒体として追い抜かれたテレビの凋落(ちょうらく)を揶揄(やゆ)しているようにも読める。
しかし、日本シリーズの放送がないという現象を、テレビビジネスとしての価値の低下という側面だけで報道していいのだろうか。
巨人中心のテレビ人気は低落したが、各地では堅実にファンをつかんでいて、地域テレビの野球番組の視聴率は高い。
23日夜の中日がサヨナラ勝ちをした試合は、名古屋地区では45・9%の瞬間視聴率を記録したのである。
地域局の独自編成を妨げているのはキー局である。そして何より、
一連の新聞報道は読者とスポーツファンの疑問に答えていなかった。プロ野球のテレビ放送の問題は、
もはや業界ビジネスの話題よりも、スポーツ文化の問題で、その視点からの報道が必要だ。
>>2-5へ続く
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
★1:2010/10/30(土) 15:14:03
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